11月・12月のpenoライヴ予定

両方とも、チケット予約は上記メールアドレスまでお願いします。

meso meso『spoon』Release Party

2009年11月13日(金)@池袋 鈴ん小屋
open 19:00 / start 19:30
前売¥2,000 / 当日¥2,500(ドリンク代別)
出演:meso meso
   http://www.myspace.com/mesomeso
   Lau Nau(from Finland)
   http://www.myspace.com/launau
   peno
   http://www.myspace.com/penoxxx

早くもpenoが外人fromフィンランドと共演!!!
オープニングアクトなのに持ち時間30分って実質3マンじゃないか!!!!)
(そしてLau Nauさん試聴したけどすごい素敵!!!!)
主催のmeso mesoさんという女性は、トクマルシューゴ先生のサポートメンバーとして数多くのフェスに出演しちゃったりもするsugoいお方です。
この日は色んな人が(peno以外を)観に来るそうなので緊張!!!!
緊張するとロクなことにならないのは前回の企画で証明済みなので、ほほーいとライヴをして楽しみます。

12/20(日)新宿NINE SPICES
i need me.presents
[ひととひととvol.3]
open/17:30/start/18:00
ticket/1800(+1drink)
*チケット予約された方にはi need me.の(多分)よく眠れるCD-Rを差し上げます。

  • live-

i need me.
http://www.myspace.com/ineedmeweb
Qurage(from山形)
http://www.myspace.com/qurage
ハイテンションセックスガール(from大阪)
http://www.myspace.com/htsg
thai kick murph
http://www.myspace.com/thaikickmurph
彷徨う豚
http://www.myspace.com/samayoubuta
peno
http://www.myspace.com/penoxxx

12月のクリスマス前にもライヴが決定しております。
(この日はぺのがひとりふえるよ!!!)。
どうぞ皆様ふるってご来場ください。

声のない人や、目と耳が聞こえない人は、どんな風に歌えばいいの?

<補助線1:2009年10月7日 PM 21:10>
 青年団リンク ままごと『わが星』という演劇を観に行く。結論からいえば、とんでもなく良かった。80分間鳥肌が立ちっぱなしという体験は、そうそうできるものではない。けれど、この作品を語る言葉を捜してはみるものの、なかなか見つからなかった。

これが本やDVDであれば誰かにあげてみてもいいし、バンドであれば次のライヴチケットを押しつけてみることもできる。けれど、既に終わってしまった、ある劇団の、ある時期の、ある作品について言葉の羅列のみで語ったところで、これを読んでいるあなたにどれほどわかってもらえるんだろうか。「その劇団の、その時期の、その作品」はもうとっくに消え去っていて、自分だけが見た流れ星の存在を証明しなければならなくなったような、そんな無力感に陥ってしまった。

<補助線2:2009年10月14日 AM 1:03>
 一週間ほど唸りながら考えた結果、「演劇でありながら演劇ではない」という部分が、ぼくに「とんでもなく良かった」と感じさせたのではないかと思うようになった。というのも、高校時代に演劇部にいた経験から、ヘンな喰わず嫌い的先入観があったからである。

 ぼくの知るかぎり、高校の演劇部には3つのパターンがあって

  1. オタク女子の溜まり場になっており、出来の悪いライトノベルのような劇をアニメ声でやる。役者志望というより、声優志望が多い
  2. 演劇経験のある顧問が脚本・演出・舞台美術をすべて手掛け、「高校生らしい」(高校演劇で上演される作品の大半は、高校が舞台である)お金を取れるクオリティの作品を上演する。年に一度ある全国コンクールでは、このタイプの部活のみが上位にランクインされる
  3. サブカル好きな少年少女が、小劇場の台本を買ってきて細々と上演する

というふうに分類されている。ぼくが所属していたのは2.の顧問が脚本・演出を手掛けないタイプのところで、代わりに自分たちで脚本を書いたり、演出をしたりしていた(ぼくは演出・音響をやっていた)。
 ぼくが演劇をイヤになってしまった理由は実にシンプルで、「それが演劇という表現手法を用いなければならない必然性は、一体どこにあるのだろう」という疑問に自分自身答えられなかったからである。映画のようにカットや舞台(装置)を自由に選ぶこともできなければ、人間の体を使うために小説のような想像力の飛躍による表現も難しく、また高校演劇人口の大半が女子生徒で構成されているため、老若男女の役を女子高生でカバーしなければならない。今でこそ「そういう条件を活かした作品を作ればいいんじゃない?」と思えなくもないが、眼前にめくるめく「自由」たちがぶらさがっているのに、そこから目を背けなければならない理由がどうしてもわからなかったのだ。学生が学生の役をやる劇なんて、「金八先生」だけで十分だ。そして、高校生のぼくらが武田鉄也の代わりを務められるかといえば、もちろんそんなことはない。

 あれから5年以上経った今も、その問いに答えることがぼくにはできないでいる。
それが演劇という表現手法を用いなければならない必然性は、一体どこにあったのだろう?

<補助線3:2009年10月21日 AM 2:23>

「ぼくらは無意識のなかで歌っているんだよ。それが意味をなすか、あとで見てみる。文法的に合っているかどうかは重要じゃない。その響きが気にいったらそのままにしておく。『歌詞がまったくわからない』と言われるかもしれない。でも、実際に歌詞を口頭で一言一句伝えてあげたら、みんなこう言うに違いない。『もちろん、そういうふうに聞こえていたさ。はっきりとわかっていたよ』なんてね。文章としては破綻していて、途中で終わっていたり、すぐ次に何かがつづきそうな感じ。でも、もし紙に書かれたものを読んだら、意味はちゃんと成立すると思うよ」
マイク・マクゴニカル著 伊藤英嗣/佐藤一道訳『マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン Loveless』(2009年、ブルース・インターアクションズ

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン Loveless (P‐Vine Books)

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン Loveless (P‐Vine Books)

 これは、イギリスの伝説的シューゲイザーバンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(以下、マイブラ)のフロントマンであるケヴィン・シールズが、自身の書く歌詞について語った際の言葉である。ぼくは彼らの代表作『Loveless』が大好きで、とくに寝不足・体調不良時に大音量で聴いては余計にそれを悪化させて楽しんでいたのだけれど、思えば歌詞について考えることがまったくなかった(『Loveless』にはバンドの意向で歌詞が掲載されておらず、日本盤にもライナーノーツがあるだけで、対訳も載っていない)。

Loveless』において、というよりもマイブラの歌は、けだるいノイズを全面に押し出したディストーションギターの後方でかき消されがちで、聴き取ろうと思ってもほとんど何を言っているかわからなかったという理由もある。「なにか意味のあるようでないようなことを歌ってるんだろうな」程度には考えていたが、本書の中で改めて「枕のように柔らかく彼女は触れる/彼女が思いきって踏みこもうとしなかった場所へ」(only shallow)だとか「キッス、キッス、キッス、サック、サック、サック」(slow)と書かれているのを読むと、好きな女の子のイヤな面を見て幻想が崩れてしまった時のような、なぜかがっかりした気持ちになってしまった。相変わらず大音量で聴くと、歌詞のことなんか忘れてしまい、ギターノイズの海の中で気持ち良くなってしまうのだけれど。

 音楽の良し悪しは歌詞の出来不出来のみに起因するものではなく、そもそも歌(詞)がなければ音楽ではないのか、と問われればまったくその通りで、ぼくがそれを読んだ・知ったからといって、マイブラを嫌いになるなんてことはない。音楽はただ流れ続ける。そこに歌詞≒物語が付随していても、それを読み取るかどうかすらも「自由」である。ぼくのように、勝手に別の物語を読み込む行為でさえ、許容してくれる。

高校を卒業したぼくは、音楽ばかり聴いていた。

<補助線4:2009年10月22日 AM 1:57>
『わが星』のストーリーをかなり大雑把に説明すると、主人公のちーちゃん(地球)の誕生と終焉を、ちーちゃんの家族とその(地球の)様子を観察し続ける先生と生徒、つまり「(自分、あるいは誰かにとっての)世界」の誕生から終焉までの歴史を同時並行的にリンクさせて描くことで表現するというもので、誰にでも経験のある(あるいは必ず経験する)「子供から大人への成長、そして死を迎えるその瞬間」という、極度なまでにシンプルな流れに沿って物語は進んでいく。しかし、冒頭で「演劇でありながら演劇ではない」と書いた通り、ぼくはストーリーそのものよりも、そのストーリーを描くための方法論にいたく感動してしまったのだ。

『わが星』は劇団スタッフによる「まもなく開演です。今から約4秒後に灯りを消させていただきます」、「本公演は上演時間「約80分」を予定しております。途中、4秒の休憩がございます。最後までゆっくりとお楽しみください。それでは今から約4秒後に上演を開始いたします」というアナウンスから既に始まっており(このようなアナウンスは作中で何度も流れ、時間の経過が強調されている)、以後終幕まで1小節に4拍ずつ、時報のようなクリック音が一定のリズムで正確に時を刻み、鳴り続け、台詞や動作、暗転や明転などのタイミングを示す「きっかけ」もすべてこのクリック音に沿って行われている(作・演出の柴幸男と音楽を担当した口口口の三浦康嗣が、ベースラインやビートなどをDJのように抜き差しする「演奏」としてクレジットされており、リアルタイムでそれを行っている)。
与えられた時間は80分。これより長引くことも短くなることもない。主役はあくまでも時間であり、ストーリーではないとぼくは思う。

 作・演出の柴は

「パクリというか、舞台からインスピレーションを受けて舞台にすると、だいたい駄目なんですよ。駄目ってことはないですけど、元の作品を越えられなかったりするので。だから、舞台じゃないところをよく見て、これ面白いなっていうものを……別のジャンルからだったら、舞台になった時点でそれはもうパクリじゃないので。一回消化して出てきた違うものですね」
cinra magazine vol.13インタビュー 戯作者 柴幸男

(中略) またふたつ目にストーリーではなくプロットに興味があるからだ。
ここで言う「プロット」とは物語が持つ構造、図形、模様、のようなものを指す。
井上ひさしが言うところの知恵ある仕掛け。
ストーリーが表面化して展開するものならプロットは潜在的に点と線を紡ぐ。そして何かを形作る。
以前は否定的だった「ストーリー飽和論」に現在はやや賛成だ。
もうパターンは出尽くしたのかも知れない。
しかし悲観はしない。むしろ優れたストーリーを上手く使えばいい。
そのかわり、新しいプロットの発明こそが劇作家にとって必要だと思う。
プロットをどうやって考えるかは人それぞれだろう。
いきなり完成図が浮かぶかもしれないし、稽古場で偶然出来上がるかも知れない。
見たことのないストーリーを作ろうという努力が結果、新しいプロットを発明することもある。
そこで自分の場合はあるアイデア・不確定な図形をとことん突き詰めてみる、である。
ストーリーは放棄する。というよりかは常にプロットに先行させる。
本来、ストーリーの後を静かに追いかけるプロットに物語を紡がせる。
そこから今までになかった物語を立ち上げようというたくらみである。
柴幸男Blog casette conte 現代演劇暴論14「『あゆみ』はいかにして作られるのか9」

という発言内容から、単に物語を書いて上演するだけでなく、その表現手法にかなりのこだわりを持っていることがわかる。過去の作品を見ても、工場のベルトコンベアーで流れる製品のように三人の女優が、スポットライトの当たった場所を入れ替わり二人の役を演じる『あゆみ』や、5人家族を台詞の多重録音によって同時に演じる一人芝居『反復かつ連続』、台詞はおろか、動作までを別の場面にコピー&ペーストするサンプリングやループ、スチャダラパーTokyo No.1 Soul Setといった、韻を踏むことに固執しない、日本語ヒップホップの影響を受けた台詞回しなど、主に「音楽」の各ジャンルで使用される手法を用いている。そして、今回の『わが星』ではそれらがこれでもかと言わんばかりに投入された、現時点での集大成とでもいうべき作品だ。

 なかでも際立っていたのが、「韻を踏むことに固執しない、日本語ヒップホップの影響を受けた台詞回し」である。
 2009年1月に「toy」というユニット名義で上演された『ハイパーリンくん』という作品でも同様の手法が用いられているが、こちらではリズムを手拍子や足踏みで取るのみであり、「ラップの方法論を取り入れた台詞回し」でしかない。しかし、『わが星』ではそこに柴と三浦が演奏する「音楽」のビートが刻まれ続ける。地球に見立てた円形の舞台上を役者たちはぐるぐると回り続け、紡がれる言葉は時として聞き取れないこともある。けれど、それでいいのだ。だってもう、これは「演劇」ではなく「音楽」だと思って観ているから。最後にちゃんと辻褄が合えば、なんの問題もないのである。

物語の全編に渡って、数えきれないほどサンプリング/ループされる、ちーちゃんの誕生日のシーン。そこで観客が感じるのは、コピー&ペーストで切り刻まれた物語構造への困惑でもなく、同じシーンが繰り返されることの退屈でもなく、家に置かれる家電技術の進歩や隣人の死の話題といった、非常に細かな言葉の差異、そして途切れることなく流れ続けるクリック音からからくる、時のゆらぎ=グルーヴの快楽である。一度グルーヴが動き出してしまった以上、もう後戻りすることはできないし、その終わり=死は必ずやってくる。終わりがやってくることがわかっているにも関わらず、グルーヴは絶対に有り得ないといわんばかりに繰り返される。ぼくらに許されているのは、それを惜しみながらノりまくることだけである(物語が終盤に差し掛かり、音楽が盛り上がってきた頃にふと音響卓を見ると、柴・三浦両氏がノリノリで「演奏」しているのが見えた)。地球の終焉を、ただ黙って見守り続けることだけである。

<補助線5:2009年10月22日 PM 14:36>
 改めて、冒頭の問いに戻ってみる。

それが演劇という表現手法を用いなければならない必然性は、一体どこにあったのだろう?

 ぐちゃぐちゃな方向に引いた補助線とそれを書いた時間を記録し、いくつかの方面から『わが星』の魅力を書いてみても、それは垂れ流される時間およびぼくの思考の記録でしかなく、まったく説明しきれた気がしない。また、CDやDVDからなる複製芸術は、再生/停止を自由に選択でき、実質的にその観賞「時間」は無限である。肉眼で確認することのできる星の光は遥か昔に放たれた光であるように、「その劇団の、その時期の、その作品」がもちえるアウラの快楽は、それが行われている劇場でその声を、動きを確認しない限り、感じることはできない。何重にも絡み合った物語とグルーヴを表現するためには。映画でも小説でも音楽でもなく、演劇というスタイルが、必要だったのだと思う。

 それに対してあえて言葉だけで立ち向かうだなんて、たとえば目と耳と声を失った状態から歌い始めなければならないような、とんでもない事態だと思うのだけれど、「それ(作品)」が提示された以上、迎え撃つ側としてはやらなければならないのである。と思う。

きょうの備忘録

11月3日
三省堂書店本店で大友良英「ENSEMBLES」を購入し、秋葉原にある廃校の屋上で行われた「ENSEMBLES'09 休符だらけの音楽装置展」クロージング・ライヴに出かける。

・内容を言葉で説明するのはもはや不可能なので、URLとリリース文章を貼っつけて終了。

公式サイト

大友良英公式ブログ。書籍化されるほどの面白さ

写真たくさんの感想ブログ

・ENSEMBLES'09 休符だらけの音楽装置展クロージング・ライヴ
■11.3(tue) 16:00開場/16:30開演 
会場  旧千代田区立練成中学校(千代田区外神田6−11−14) 屋上
料金 当日のみ 2000円
出演 大友良英、伊東篤宏、梅田哲也、Sachiko M、堀尾寛太、毛利悠子、山川冬樹(予定)
スペシャルゲスト:カヒミ・カリィ熊谷和徳

新作インスタレーション「休符だらけの音楽装置」は、旧中学校の巨大屋上運動場で大友良英+伊東篤宏+梅田哲也+Sachiko M+堀尾寛太+毛利悠子+山川冬樹らによって制作された様々な音楽装置が互いに影響を与えあい、都市の音の中で響き合いながらアンサンブルを奏でます。

雨風や直射日光を受けながら、随時更新されるそれらの音楽装置は、日々のサウンドスケープをも全く別のものに変化させ、聞くという行為がいかにその場の環境と密接に関わり、複合的に知覚されるものか気づかせてくれるでしょう。

・今年の夏に、原宿のVacantというイベントスペースでやってた展示にも足を運んでおり、こちらはペン大Aさんがオープニングライヴを絶賛していたので、行ってみた次第。

・クロージングライヴには、ゲストとしてカヒミ・カリィとその旦那さん?(タップダンサー)が出演。

・会場には、いくつもの(これまた言語化がむずかしい)音楽装置が並べられており、それぞれの場所で作者が気まぐれに演奏を行っているというもの。

・っつーか伊東篤宏ってoptrumhttp://www.japanimprov.com/aito/aitoj/index.html) の人かあ。ライヴ一回観たことあるけど、ちょうかっこよかった。ががががが。ぴーーとかいって。ばりばりばりとかいって。

・メインである(?)大友良英カヒミ・カリィのライヴも、なんとなーくやってきて椅子に座り、なんとなーく始まって、なんとなーく客が集まって観る、という形式。客層はちびっこからおじいちゃんまで様々で、全部で400〜500人ぐらい来たっぽい(大友氏のブログによると、1000人以上来たとか)。平均20代後半ぐらい。

・というわけで、「どうせサブカル(笑)な人たちがよくわかってないものをありがたがるイベントでしょ?」なんて思ってる人は考えを改めるように。

・(だからってロキノン少年少女みたいなのはいなかったけど。彼/彼女らがもうちょっとロキノン系以外も聴いてくれれば日本の音楽業界も素敵になっていくと思う!!!よ!!!)。

・大友氏のギターは単純なアルペジオなのに、メロウすぎて脳みそとろーんとしてくる。

・どんなノイズ嵐の中でも「声=歌」を成立させてきたカヒミ氏の歌声(これはすごいことですよ)は、透きとおりすぎて、高熱が出たときのようにこれまたぽやーんとなってしまった。

・30分ほどの短いライヴで、もう2000円の元は取れてしまった。以下は会場で感じたことをつらつらと。

・原宿での展示会(数十台のポータプルレコードプレイヤーを全て違うリズム・音・タイミングで鳴らすという内容)もそうだったけれど、「聞くという行為がいかにその場の環境と密接に関わり、複合的に知覚されるものか気づかせてくれるでしょう」。これに尽きる。本当に。以下この話しかしませんよ。

・今ぼくはこれをトライセラトップスを聴きながら書いているんだけども、この「音楽」を構成している要素はギター・ベース・ドラム・歌声の四つで、これをしてぼくは「ロックバンド編成によるポップ音楽だなぁ」と認識しながら聴いている。

・結局↑の文章を書いてからすぐに寝てしまった。

・寝てしまって、職場に行かねばならない時間になってしまった。ので、今は空調の音と外でやっている工事の音を聴きながらこれを書いている。

・「じゃあ、<ロックバンド編成によるポップ音楽>と<空調の音と外でやっている工事の音>の違いは一体何だろう?」と考えてみるけれど、全くわからない。「前者と後者は違う<音>でどっちが好きかっていう話にしかならないんじゃないかな」と思う。

・というのも、「<空調の音と外でやっている工事の音>は普段わたしたちが<音楽>だと感じていないだけであって、そう感じてみようと、楽しもうとしてみると、素敵な(素敵じゃないかもしれないけど)<音楽>に生まれ変わるのです。あなたの中で」という言説が生まれてしまった時代の中に、ぼくらは生きているからである。

ジョン・ケージ4分33秒」が生み出してしまった、音と知覚の呪い。無音にすら「音楽」を発見してしまう、ジョン・ケージ病。

・「ジョン・ケージ病」をわずらってしまったぼくらが会場に着く。既にぼくらの耳は「たとえそれが<音楽>とは普段呼ばれないようなものでも、そう感じられるようにしておこう」という状態になっている。

・で、実際にそう感じてみたりする。

・水の中で硬貨が振動する音。歯車が回る音。蛍光灯をアンプに繋いで出る、バチバチという音。大友氏のギター。壊れたパソコン?から出るノイズ。Sachiko M氏が出す「ぴー」と鳴るだけのサイン派の音。会場に無造作に置かれたシンバルを、観客が叩いて生まれるリズム。

・とくにSachiko M氏のサイン波はすごく不思議で、本当に「ぴー」という音(聴力検査で聴くようなやつ)しか鳴っていないのに、「音楽」を聴いているのと同じように色々なことを感じてしまう。

・「この『ぴー』の微妙な差異を感じるのって、クラブでDJが鳴らすダンスミュージックを聴くような、あるいは女の子とセックスするような、そんな瞬間に近いのかもなぁ」だとか、「そう考えてみると機械を使って音を出すっていうのは、すごくフェティッシュな行為だよなぁ」だとか、「なんだか彼女の指先もすごくセクシーに見えてきちゃったなー」だとか。

・しょうもないことばっかり考えてるのね、と言われれば反論はできない。できないけれど、たとえばぼくが今職場でキーボードを打っている音(これを読んでいるあなたが聴いているはずの、生活音)をぼくは「音楽」だと思って聴いてはいない。しかし上記の「ぴー」は「音楽」に聴こえてしまう。それは事実として、ある。

・何が言いたいかというと、「たとえそれが<音楽>とは普段呼ばれないようなものでも、そう感じられるようにしておこう」という状況は、結構複雑かつ特殊な条件下でなければ、生まれ得ないのではないか、ということである。

・そして、その条件を生み出す・生み出せるというのは、結構すごいことなんじゃないか、ということ(4歳ぐらいの子供が、大友氏のギターを聴きながら風船を持って踊っている!!!!!!!!)。

・「聞くという行為がいかにその場の環境と密接に関わり、複合的に知覚されるものか気づかせてくれるでしょう」

・学校の屋上というロケーションによって、大友氏がギターを弾いている最中に「ぴー」や「バチバチ」が聴こえてくる、なんてことも平気で起こってくる。

・それは、さっきとは違う、新しい「音楽」として聴こえてくる。

・これは自分を含む「バンド」の「音楽」にも言えることで、自分の鳴らす音は誰かに「音楽」として感じてもらえているのか、そして楽しめてもらえているのか、その手法は本当に正しいのか。そもそも「<音楽>を鳴らす」ことが正しいのか。

・ということを改めて考える上で、素晴らしい展示会およびライヴだった。

・日曜まで高円寺のgallery45-8という場所で、関連する展示会をやっているそうなので、行こうと思う。

・夜、かれこれ7年ほどの付き合いのあるYさんと30分ほど電話。彼女に限らず、最近女の子から「わたしはこういう男の子を振った」話を聞く、あるいは「こんなメールが送られてきて、ほんと困ってるんだよね」という文面を見せられると、「ぎゃあああそれオレだあああああ」という暗澹たる気分になる。

・「『君が俺のことを一度も必要としたことがないっていうことが、よーくわかった』なんて言われたってね。それが今のところの結論なんだから、わたしにはどうしようもないし」

・これまた彼女に限らず、そして恋愛の話以外でも、みんなそれぞれちゃんとした考えを持っていて、それを聞くといつもなるほどなーと思う。その一方で話を聞くだけの、からっぽな、何も考えられなくなっている自分がいたりして、それはいけないよなー自分の言葉を持たないとなーと反省。反省したまま就寝。

・やっと自分の中で「女の子」という存在を相対化できたような気がする。

・(そしてその最中もずっと気にかかっているのが、「昔の君はもっと、私に刺さる言葉を使えていたはずなんだけどな」というある人の言葉である。人づてに聞いたから正確かどうかはわからないけれど)

・Yさんといえば、以前after the greenroomのギターボーカルやまみ氏も知り合いなようで、やまみ氏が言うには「Yさんの朗読(働きながら役者をやってるんです)を花のようにのボーカルの人が観に行ってて良かったって言ってたよー」とのこと。色々つながるものですね。いやはや。

きょうの備忘録

11月2日

・こうして日記を書いたり、部署内の本棚を整理したりして過ごす。

・アップルのジョブズとウォズの伝記本や、ホイチョイの人が書いたディズニーランド史、ライブドア事件本やはてな近藤氏の本などをゲットした。

・こんな他愛のないような日記でも、改めて読み返してみると読みにくい部分が多々ある。なかなか言葉が出てこない瞬間が多発する。やっぱり毎日書くことをやめてはならない。常に考える頭にしなければならない。とおもう。

・ぼくの目の前に座っている、Yさん(30代後半?)と「dankaiパンチ」や「intercommunication」というコアな雑誌(どちらも既に廃刊)の話で盛り上がる。たのしい。

・品切れになった号のPDFデータをCD-Rに焼いて発送する作業をしながら、「コンテンツの二次、三次利用でマネタイズする」 ということについて考える。

・(スタンスor内容がインディペンデントでも)「良い記事を載せれば売れる」なんて牧歌的な時期はとっくに終わっていて、「良い記事があるのは当たり前で、それをどうお金にしていくか」ということを真に考えていきたい。ぼくが今の会社で興味があるのはそこなんだけども、会社で最年少のぼくがいかにしてそこに関わるか、ということを考えなければならない。専門的知識を溜めこむだけではなく、方法論について考えるということ。

・というのを考えるうえで示唆的な内容の記事。 「DVDからブランドバッグまで……付録付き雑誌が増えている理由」

・宝島社大勝利!!!という内容かと思ったら、TUTAYAが貸し出すAVの一部を、自分の連結子会社に作らせているっていう下りがへえええええと思った。

・こうした付録合戦が業界全体を疲弊させる、というのはその通りだと思う。読者も飽きるし。改めて「ぼくたちがお金を出したいと思うようなコンテンツって一体なんなんだろう?」ということを本気出して考えなければならない時期だということでもある。

・まぁ宝島社大勝利!!!の現状を鑑みると、「もう本なんかいらないから付録だけちょうだい」というのが現状だと思うけれど*1

西島大介大谷能生「魔法なんか信じない、でも君は信じる」を読了。おもしろかった。

魔法なんて信じない。でも君は信じる。 (本人本)

魔法なんて信じない。でも君は信じる。 (本人本)

・西島氏の作品「世界の終わりの魔法使い?」の原稿計67ページが版元である河出書房で紛失。その顛末を大谷氏の考察も交えつつ漫画化したという内容。「世界の〜」もちゃんと今月に河出から出版されるようす(たのしみ!)。

・一介のサラリーマンであるわたくしとしては、自分がした一個のミスで800万円+本が出ていれば上がった収益というダメージを会社に与える、といった下りが恐怖でしかない。のだけれど、そんなギョーカイ裏話が本作の主題ではないので省略。

・「本作の主題」は上の話ともリンクしていて、「漫画(コンテンツ)を構成する要素とは一体なにか」というところにある。

・具体的にピックアップすると、「本を出さないで保障金をもらったほうが儲かった!?」という下りと「この騒動さえ漫画のネタになるっていうことは、一体どういうことなんだろう」と西島氏が悩む部分。

・前者はギョーカイ的な話なのでやっぱり置いておいて、後者の話。「何が話のネタになるか」というのは別に目新しいトピックではない。たとえばぼくの好きな坂口安吾もエッセイで自分が精神病院にブチ込まれた話や、競輪の判定を巡って競輪協会と裁判沙汰になったという話を新聞や雑誌に書いていたりもする。

・氏が考えていたのは、もっとパーソナルな「自分の絵や、物語の手法で、何が描けるのか」という話だろう。

・「凹村戦争」や「土曜日の実験室」など、初期作品を読めばわかるとおり、氏の描く漫画は至ってシンプルな絵(キャラクターのパターンもそれほど多くない)を密度の低いコマにて大きく展開し、エヴァンゲリオンジブリやSF全般など、オタクカルチャーに属するトピックへの批評的な言語をキャラクターに喋らせる、といった手法を取っていることが多い。

・(個人的には「コピーコントロールCD」のマークをかたどった大きな穴に、キャラクター達がCD(CCCD)を投げ込み焼却している、という一枚絵の風刺イラスト(「土曜日の実験室」に収録)を読んだ時に、「この人すげー」と印象付けられたことを強く覚えている)

・(加えて、「ディエンビエンフー」の第何話か忘れたけど、ヤーボ大佐が戦死するシーン。6ページ分ぐらいの見開きを使って、ゆっくりと、かつ衝撃的に血を噴き出し、倒れるというもの。スカスカで、ペラペラのキャラクターだからこそ、そのショックという「効果」だけが強烈に浮かび上がる。たまたま掲載誌の「IKKI」副編集長とメールする機会があったのでこの話を振ってみると「確かにあそこは素晴らしい場面ですよね」という返事が返ってきたこともあった)

・(この作風へのカウンターとして、近年の「世界の終わりの魔法使い」シリーズや「ディエンビエンフー」では、明確な「物語を描き出す」意欲が見受けられる)

・氏が「いわゆる漫画的な漫画」を書けないと自覚したこと、連載を経ず書き下ろし作品でデビューを果たすといった特殊事情も大いに起因している。と思う。

・デビュー前はライターもやっていたという彼が、まず先に「言葉」を発見した上でそれを漫画に当てはめていくということ。あらゆるメディアを、自由自在に使いこなしていくということ。手法の良し悪しやそれ自体の評価ではなく、その手法が与える「効果」について考えて、実践するということ。

・ぼくにとって「自分の○○や、××で、何が描けるのか」を考えること。

・さらにこの話は11月3日に続くけれど、長くなったのでひとまずこの辺で。

*1:この辺りファッション雑誌を買っている女性陣からのご意見をうかがいたい次第→mixiでは意外と「紙面が好きで買ってるから、付録はほんとおまけ程度かな」という意見をいただいた。「使えるのがベストだけど、売れすぎて周りとかぶるのもなー」だとか「海外はもっとすごいよ!」とも

きょうの備忘録

新しい部署の仕事もスタートし(というか改めてスケジュールを見て、そのタイトさに愕然とした)、いよいよ幸せだった社内ニート期間も終了しそうなので、いまのうちに日記をつけようと思います。しばらく飽きるまでは毎日ちょこちょこつけたいな。

10月29日
・penoライヴ@吉祥寺Warp

・i need meはthai kick murphヨウちゃんとの二人セットで、ヨウちゃんの声がすごいマッチするしすてきだなー

・やっとafter the green roomを観ることができた。90年代終わりからゼロ年代初頭にかけての、「J-POP」がとっても格好良かったころのポップソング的な音楽を聴くことができて、とっても嬉しい気持ちになった。メンバー全員ぼくの高校の同級生で、しかもぼくと面識があったのでびっくり。ちなみにここでいう「ポップソング的な音楽」というのはたとえば川本真琴やゼペットストアやカスケードや岡北有由といったものを想定していて、功罪ありつつも歌のメロディを前面に出す、ブリットポップを参照したような、そんな淡くて素敵な音楽なのです。

・肝心のpeno演奏は、まずまずといったところ。煙草を吸いすぎて声が若干出てなかったのは反省(PAさんがいてリアルタイムでボーカルマイクの設定をいじられるという状況にもっと慣れないといけないなぁ)。「March Of Pigs And Cows」で周りの人が踊ってくれて、もっと頑張ろうと思った。新曲として演奏したアシダくん曲も、ラストのドローン部分が気持ちよく決まったとおもう。

・after the greenroomベース担当のあゆこ氏と地元まで一緒だったので、本の話や本八幡最強説をなど語りつつ帰宅

10月30日

・発送作業をちゃちゃっと終えて、iLL(ex.SUPERCAR)@代官山UNITへ。

・エコーにも書いたとおり、かなーり納得のいかないライヴだった。

・いったい何がそんなに納得いかないのか考えてみると、ナカコー氏が「フィジカルな」ロックバンドのダイナミズムを志向したライヴだったからじゃないかという結論に至った。

・まぁ、思えば3枚目の「ROCK ALBUM」からその片鱗は見えていたのだけれど。

・ここでいう<「フィジカルな」ロックバンドのダイナミズム>というのは、一番わかりやすい例でいうとハードロックやメタルといったジャンルでステレオタイプな像として表れる「ムキムキな体つきの男の人が、激しく動きながら早弾きでピロピロする」というようなアレである。べつにiLL=ナカコー氏はそのサポートメンバー(ドラム氏は明らかにそれだったけど)がムキムキなわけではないが、そこに通底するような音作りだった、という話だ。「ロックバンド」(それは「自由」を体現していたこともあった)は演奏がうまくて、ルックスも良くなければならないという強迫観念。

・そうしたものへの対抗軸としてあったのが、初期スーパーカーも参照していたシューゲイザーというジャンルだったはずで、それはひ弱そうな文化系青年たちがうつむきながらフィードバックノイズを垂れ流し、ストロークテクニックなんておかまいなしといった体でぐちゃぐちゃに音を混ざぜまくっていたディストーションギターのサウンドなのである。

・そうした音楽はのちにポストロックと出会って再びテクニカルな方向に向かってしまうのだけれど。

・2007年に発売された、スーパーカーのデビュー作デラックスバージョン「スリーアウトチェンジ 10th anniversary edition」には、彼らのデビュー期のライヴ音源がボーナストラックとして収録されていて、それを聴いていると「どうしてこんなアマチュアバンド以下の演奏力で、『スリーアウトチェンジ』のような少なくとも10年は聴き継がれた名盤を生み出せたのだろう」という気になってくる。

・それはもう「そういうことなのだ」としか言いようがなく、人を傷つける(大音量で「ぴーーー」とか「がががが」なんていう音を奏でるなんて、暴力以外の何物でもない)ためには必ずしも肉体を鍛えて凶器化する必要はなく、銃やミサイルを使ったって効果は同じでしょ、という話である。

・外部プロデューサーやエンジニアを導入してのスタジオワークという「道具」を手に入れた彼らは…まで打ったあたりで、「スタジオワークとライヴ」という、ビートルズの「サージェントペッパー〜」以降膨大な歴史と考察にブチあたったのでやめた。

・要するに、今のスタイルはナカコー氏に合ってないと思うし、エレクトロニカ以降の「パソコン操作だけでCDのクオリティと同様の<演奏>ができる」という、登場した瞬間にマンネリズムを抱えるスタイルにも陥らないよう、適度にバンドサウンドとエレクトロニクスを融合させた音を作れる人だとぼくは信じているので、懲りずに彼の次回作をお待ちしています。ということが言いたかったのだ。2nd「Dead Wonderland」の方向性を突き詰めてもいいと思うんだよなぁ、なんて。

10月31日〜11月1日

・「樹海行きたい」「オレはまだ死にたくないぞ。でも高速童貞は捨てたい。ならば日光に紅葉を観にいこうではないか」というやり取りの末、S氏(リア充)と日光に行く。日帰りのつもりが泊まりがけの小旅行になってしまった。夜の首都高の強風で車体が左右にあおられるのは本当に怖い。

・何をしていたかといえば、大半が車内でナンバーガール「シブヤROCKTRANSFORMED状態」、くるり「Philharmonic or die」、スーパーカー「スリーアウトチェンジ」「フォーチュラマ」を流し、カラオケ大会を開催していた。

・渋滞をくぐり抜けて休日の観光地に向かってちゃんと遊んでくる、世の中のお父さん方に多大なリスペクトを表明したくなった旅だった。渋滞の後にまた観光スポットで並ぶ、というのはとても疲れるネ。

・ぼくにとっての「遠出」はそれを口実にだらだらとおしゃべりがしたい、というものだったので、ちゃんと遊んでうまいものを喰う(東照宮近くの洋食屋「明治の館」と要カーナビな場所にあるそば屋「のうか」はちょうオススメ)という今回の「遠出」は、いろいろな発見があったと思う。

・駐車スキルが皆無に等しく、「わたしみたいに心が広くなかったら絶対に嫌われてるんだからねっ!」と素敵なツンデレコメントをいただいたので、それはがんばる。

9/23にライヴやります


もう明日に迫ってしまいましたが、ライヴをやるので告知させていただきます。
詳細は以下

9月23日(水・祝)

peno企画「窓わったるぞ 」

【会場】

池袋 鈴ん小屋

http://www.ringoya.org

【出演】

・peno

ARTLESS NOTE/my girlfriend's record/雨上がりのバラード etc)

http://www.myspace.com/penoxxx

Chanson Sigeru

GELLERS/トクマルシューゴ&ザ・マジックバンド)

http://www.myspace.com/chansonsigeru

・夏目知幸(シャムキャッツ

http://www.myspace.com/siamesecatstone

・ポニーのヒサミツ(student a

http://www.myspace.com/ponyhisamitsu

・i need me.

http://www.myspace.com/ineedmeweb

【開場/開演】17:30/18:00

【Ticket】前¥1500/当¥2000(D代別途)

予約はmegaane@hotmail.co.jpまで。
当日午前中ぐらいまでは見てますが、もし見てなくて予約したよーという方はメンバーに声をかけてもらえれば前売り価格にさせていただきます。
ゼロ年代における日本のポップ音楽は、もはや音楽としてジャンル化した「ロキノン系」の台頭とは別に、nhhmbaseトクマルシューゴOGRE YOU ASSHOLEなど素敵なインディーバンドがわんさか登場した10年でもありました。

ぼくが大学に入学したのは2005年で、それまで好きだったナンバーガールくるりスーパーカー的な「洋楽と同等かそれ以上のセンスをもった」バンドの次の世代が登場したものだと一人で熱狂し、渋谷o-nestに通い詰めていたことを強く覚えています(このリアリティは、ぼくの2歳年下にはもう通用しない程度のものですが)。

上記バンドのフォロワーが軒並みダメダメだっただったことは歴史が証明してしまいましたが、それでもゼロ年代の空気をたっぷり吸ってしまった、20代のバンド(ほとんどソロですが)が池袋に集います。

自分でいうのもなんですが、かなりオススメです。

<メンバー>

ミズタニタカツグ(from ARTLESS NOTE):トイピアノ、ピアニカ、ピアノ、少年
アシダユウト(from 雨上がりのバラード、spa shower):エレクトリック・ウクレレアコースティック・ギター、フレッド・フリス
フクシマヂロウ(from my grilfriend’s record):ベース、ノイズ発生機、三点頭立
コバヤシナオキ:ドラム、口笛、ピアニカ、AVマエストロ
ジンボユウキ(ex. cinra magazine):トイピアノ、ピアニカ、ボーカル、各種おもちゃ、ファッションメンヘラ

<peno プロフィール&短い歴史(改編自由)>

2008年10月、御茶ノ水の路上にて、アシダユウト(雨上がりのバラード)、フクシマヂロウ(my girlfriend's record)、ジンボユウキ(ex,CINRA MAGAZINE)、ミズタニタカツグ(ARTLESS NOTE)の4人で結成。メンバーは全員同じ大学、同じ学部、しかし全員違う音楽サークル出身。同年11月、無理矢理初ライブを敢行。未だにメジャー&マイナースケールしか知らないメンバーがペンギン音楽大学にて猛勉強中。さらにライブ前の過酷な深夜練習によってメンバー全員心を病む。キャンパスライフへのルサンチマンを内包しつつも、自分自身に全力で嘘をつきながら至福のサイケデリックドローンを奏でたりどうあがいても不協和音しか出せないのがpenoというバンドである。

2009年3月、ジンボユウキのみ大学を卒業。不良社会人となり、初任給で後輩女子に計2万おごる。他のメンバーは?

2009年5月、ミズタニタカツグがメインのバンドでなぜか大友良英と対バン。CD音源を渡すことができて満足のご様子。

2009年6月、フクシマヂロウがライブ中にずっこけるようになる(パンクロック!)。

2009年7月、コバヤシナオキが加入し5人組になり、メンバー間でのドラム押しつけ合いがなくなる。ドローン主体の演奏からの脱却。

2009年8月、アシダユウトがトクマルシューゴ先生が主催する円盤でのイベントにソロで出演が決定するが、2009年9月までその事実はメンバーにも隠し通す。


経歴にも書いてあるとおり、メンバーのアシダくんは10月に円盤にてトクマルシューゴ企画に出演するので、もしよければいらして下さい。
アシダくんソロのマイスペースアドレスもこちらに。

『ト企画 "柔の日"』
[場所] 高円寺 円盤
[日程] 10/15(木) 開演19:00- ¥1,000(1D付き)
[出演] 芦田勇人 / PADOK / meso meso / hara kazutoshi

http://www.myspace.com/yutoashida

あとミズタニくんのブログもついでに。
http://d.hatena.ne.jp/suibuness

6/10にライヴやります。

さて、時刻は21時半を回りまして、私は会社でこの文章を書いています。本当はこんなことしてる場合じゃないんですが、私の参加するpenoというバンドのライヴがありますので、告知させていただきます。

penoのマイスペースはこちら。
http://www.myspace.com/penoxxx

6月10日(水) 吉祥寺WARP
WARP presents 「green foxtail」

出演
peno
i need me
殺生に絶望
タタナダタ
立体

チケット:ADV/DOOR \1400/\1700
OPEN 18:00 START 18:30
http://warp.rinky.info/
http://warp.rinky.info/sche/sche10.cgi

penoの出演は4番目、20時ごろを予定しています。
ドローンとかトイポップをやってます。
マイスペで試聴して、もし気に入ったらご連絡ください。チケットお安くします。

Profile
2008年10月、某都内早稲田落ち御用達大学にて結成。全員同じ学部・同い年だが、全員違う軽音楽サークル出身。二人の大学5年生と、大学3年生と、会社員のバンド。「自分の所属するバンドじゃできないことをやる」がテーマだが、何故か一人だけバンド未所属(最近キーボードを習い始めた)のメンバーがいる。矛盾を内包しつつも、その滑稽さと面白みをあくまで「ポップミュージック(のようなもの)」に変換していくのがpenoというバンドである。
たった2回の練習を経て、2008年11月に初ライヴを敢行。持ち曲は一曲のみ、即興で25分やり遂げたら意外と好評。
以降、正しくトクマルシューゴ・チルドレンを目指しつつ、2〜3か月に一度ペースで都内各所でライヴ活動を行う。各メンバーがそれぞれ多忙の中、次のスタジオ入りおよび新たな曲作りがごくごく一部で熱望されている。