きょうの備忘録

11月2日

・こうして日記を書いたり、部署内の本棚を整理したりして過ごす。

・アップルのジョブズとウォズの伝記本や、ホイチョイの人が書いたディズニーランド史、ライブドア事件本やはてな近藤氏の本などをゲットした。

・こんな他愛のないような日記でも、改めて読み返してみると読みにくい部分が多々ある。なかなか言葉が出てこない瞬間が多発する。やっぱり毎日書くことをやめてはならない。常に考える頭にしなければならない。とおもう。

・ぼくの目の前に座っている、Yさん(30代後半?)と「dankaiパンチ」や「intercommunication」というコアな雑誌(どちらも既に廃刊)の話で盛り上がる。たのしい。

・品切れになった号のPDFデータをCD-Rに焼いて発送する作業をしながら、「コンテンツの二次、三次利用でマネタイズする」 ということについて考える。

・(スタンスor内容がインディペンデントでも)「良い記事を載せれば売れる」なんて牧歌的な時期はとっくに終わっていて、「良い記事があるのは当たり前で、それをどうお金にしていくか」ということを真に考えていきたい。ぼくが今の会社で興味があるのはそこなんだけども、会社で最年少のぼくがいかにしてそこに関わるか、ということを考えなければならない。専門的知識を溜めこむだけではなく、方法論について考えるということ。

・というのを考えるうえで示唆的な内容の記事。 「DVDからブランドバッグまで……付録付き雑誌が増えている理由」

・宝島社大勝利!!!という内容かと思ったら、TUTAYAが貸し出すAVの一部を、自分の連結子会社に作らせているっていう下りがへえええええと思った。

・こうした付録合戦が業界全体を疲弊させる、というのはその通りだと思う。読者も飽きるし。改めて「ぼくたちがお金を出したいと思うようなコンテンツって一体なんなんだろう?」ということを本気出して考えなければならない時期だということでもある。

・まぁ宝島社大勝利!!!の現状を鑑みると、「もう本なんかいらないから付録だけちょうだい」というのが現状だと思うけれど*1

西島大介大谷能生「魔法なんか信じない、でも君は信じる」を読了。おもしろかった。

魔法なんて信じない。でも君は信じる。 (本人本)

魔法なんて信じない。でも君は信じる。 (本人本)

・西島氏の作品「世界の終わりの魔法使い?」の原稿計67ページが版元である河出書房で紛失。その顛末を大谷氏の考察も交えつつ漫画化したという内容。「世界の〜」もちゃんと今月に河出から出版されるようす(たのしみ!)。

・一介のサラリーマンであるわたくしとしては、自分がした一個のミスで800万円+本が出ていれば上がった収益というダメージを会社に与える、といった下りが恐怖でしかない。のだけれど、そんなギョーカイ裏話が本作の主題ではないので省略。

・「本作の主題」は上の話ともリンクしていて、「漫画(コンテンツ)を構成する要素とは一体なにか」というところにある。

・具体的にピックアップすると、「本を出さないで保障金をもらったほうが儲かった!?」という下りと「この騒動さえ漫画のネタになるっていうことは、一体どういうことなんだろう」と西島氏が悩む部分。

・前者はギョーカイ的な話なのでやっぱり置いておいて、後者の話。「何が話のネタになるか」というのは別に目新しいトピックではない。たとえばぼくの好きな坂口安吾もエッセイで自分が精神病院にブチ込まれた話や、競輪の判定を巡って競輪協会と裁判沙汰になったという話を新聞や雑誌に書いていたりもする。

・氏が考えていたのは、もっとパーソナルな「自分の絵や、物語の手法で、何が描けるのか」という話だろう。

・「凹村戦争」や「土曜日の実験室」など、初期作品を読めばわかるとおり、氏の描く漫画は至ってシンプルな絵(キャラクターのパターンもそれほど多くない)を密度の低いコマにて大きく展開し、エヴァンゲリオンジブリやSF全般など、オタクカルチャーに属するトピックへの批評的な言語をキャラクターに喋らせる、といった手法を取っていることが多い。

・(個人的には「コピーコントロールCD」のマークをかたどった大きな穴に、キャラクター達がCD(CCCD)を投げ込み焼却している、という一枚絵の風刺イラスト(「土曜日の実験室」に収録)を読んだ時に、「この人すげー」と印象付けられたことを強く覚えている)

・(加えて、「ディエンビエンフー」の第何話か忘れたけど、ヤーボ大佐が戦死するシーン。6ページ分ぐらいの見開きを使って、ゆっくりと、かつ衝撃的に血を噴き出し、倒れるというもの。スカスカで、ペラペラのキャラクターだからこそ、そのショックという「効果」だけが強烈に浮かび上がる。たまたま掲載誌の「IKKI」副編集長とメールする機会があったのでこの話を振ってみると「確かにあそこは素晴らしい場面ですよね」という返事が返ってきたこともあった)

・(この作風へのカウンターとして、近年の「世界の終わりの魔法使い」シリーズや「ディエンビエンフー」では、明確な「物語を描き出す」意欲が見受けられる)

・氏が「いわゆる漫画的な漫画」を書けないと自覚したこと、連載を経ず書き下ろし作品でデビューを果たすといった特殊事情も大いに起因している。と思う。

・デビュー前はライターもやっていたという彼が、まず先に「言葉」を発見した上でそれを漫画に当てはめていくということ。あらゆるメディアを、自由自在に使いこなしていくということ。手法の良し悪しやそれ自体の評価ではなく、その手法が与える「効果」について考えて、実践するということ。

・ぼくにとって「自分の○○や、××で、何が描けるのか」を考えること。

・さらにこの話は11月3日に続くけれど、長くなったのでひとまずこの辺で。

*1:この辺りファッション雑誌を買っている女性陣からのご意見をうかがいたい次第→mixiでは意外と「紙面が好きで買ってるから、付録はほんとおまけ程度かな」という意見をいただいた。「使えるのがベストだけど、売れすぎて周りとかぶるのもなー」だとか「海外はもっとすごいよ!」とも