トクマルシューゴ『Port Entropy』

 「音楽は何のために/鳴りひびきゃいいの/こんなにも静かな世界では」とは、フィッシュマンズの大名盤『空中キャンプ』のラストナンバー「新しい人」における佐藤伸治の問いである。
 購入/レンタル/ダウンロードで月に2、30枚のアルバムを聴き、月に3〜4本のライヴに通うという生活を数年つづけている(決して多い方だとはおもわないけれど)と、それが完全な日常の一部になってしまい、音楽をあまり聴かない友人に「どうしてそんなにたくさん聴き続けるの?」と聞かれても理由を答えられない自分がいたりもする。有名な登山家の言葉をもじって答えるとすれば「そこに音楽があるから」なのだろうか。

 一日の仕事内容を確認するようにネットでリリース情報をチェックし、いつものCDショップでトクマルシューゴの『Port Entropy』を購入する。前作『Exit』から2年半ぶりのフルアルバム。いつものように封を開け、パソコンに取り込んで再生ボタンを押す。

 彼はどの作品においても、アルバムを通して数十種類もの楽器を使用している。ひとつひとつの楽器が違ったリズム、音色を生み出し、何重にもオーバーダビングされて完成した“ひとりオーケストラ”はフリーフォークやアシッドフォークといったジャンルに形容しがたいサウンドスケープを形成する。また、自身の夢日記をもとに綴られているという歌詞もあいまって、“想像できなくもないけどイメージが追いつかない”とでも言いたくなる世界が広がる。

 たとえばシングルとしてもリリースされた「RUM HEE」の冒頭の歌詞はこうだ。
「退屈なこの檻で曲がったフタ凍らせて/焦げた匂いが薄めたアルコールに溶けて狂うよ/ビンの中暴れだす さえぎられる声/陰の中 踏みつけていくうちに 追い越され暗闇に」
一小節ごとに全く違う世界で起こった出来事のようにもみえるし、全てが地続きで起こっているようにもみえる。難解ではないけれど、すぐに理解できるほど安直でもない。あるいは「意味」を「理解」しようとすること自体が間違っているのかもしれない(意味なんかないね。意味なんてない)。そんな捉えどころのなさが彼の魅力だとぼくは思う。

 今作は音楽性に大幅な変化はみられないものの、1曲目のインストナンバー「Platform」からずっと、これまでの作品には感じなかった高揚感があった。雲ひとつない青空の下で天気雨に遭遇したような、不思議な感覚。“いつもの”風景からほんの少し“ずれ”を感じただけで、世界が全く違う様相でみえるような、そんなおどろき。

 「今回はどんな楽器(あるいは非楽器)を使っているのだろう」とイントロクイズのような感覚で耳をすまして聴いていると、ほとんどの楽曲中でメロディと楽器がユニゾンしていることに気がつく。

 そこで鳴らされているのは、リコーダーや鈴、ピアニカや鉄琴といった、誰しもが一度は触れたことがある楽器たち。ピアノの白鍵に触れて初めて「チューリップ」や「かえるのうた」のメロディをなぞることができた時の感動を思い出した。
あれはどうして気持ち良かったんだろう。自分の指が、既に存在している“正しい”メロディを紡ぎ出し、それだけであたかも世界から祝福を受けたような…と書いていて「それはそれでどうなんだ」という気持ちになりつつも、そんな嬉しさを覚えたのは確かだったような気もする。そうした体験が今に至るまで音楽を聴き続ける原風景だったのかもしれない。

 映画音楽の世界では、明るいシーンに明るい曲、暗いシーンに暗い曲を充てるといったベタな作/選曲を揶揄する言葉として、キャラクターの動き一つに至るまであらゆる動作と音がシンクロ状態にあるディズニーアニメから名前を取った「ミッキーマウジング」というものがあるらしい。
北朝鮮マスゲームがそうであるように、あらゆる物事が正確な“正しさ”のみで構成される世界は奇妙である以上に不快感すら覚えることもある。けれど、いったんそうした疑問を取り払ってしまえばその“正しさ”は強烈な全能感と没入感を提供してくれることも事実だ。日本の盆踊りだって、ある意味マスゲームだともいえる。
 今作では5、60ものストック曲の中から「これまでのキャリアを総括するアルバム」として制作されたそうだが、その結果こうした魔法にも似た強烈なナンバーばかりが収録されているのはとても興味深い。もちろん、これまでの楽曲が決してキャッチーでないというわけではないけれど、声も含めた独特のサウンド面に耳が行きがちだった。

 こんなアルバムを作り上げてしまった先に、一体どんなサウンドスケープがあるのかと想像力の乏しいぼくには見当もつかないけれど、CMや映画といった映像にまつわる音楽も多く手がける彼は、前提となっているはずの映像をも有機的に飲み込んでしまうような、どえらい作品を作り上げてしまうのではないだろうか。
 次作が何年先になってもいいから、これをして音楽活動休止、ということにだけはならないでほしいとおもう。

ポート・エントロピー

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