ノー推敲日記

3月4日

朝起きると歯茎が猛烈に痛む。何も食べることができなかった。
2か月前ほどからせこせこ歯医者に通っていたので、その際にもらった痛み止めを飲んで耐える。

昼は会社の先輩(といっても15歳ぐらい年上の方)と食べに行く。
仕事の上で色々な構想について話してもらう。ぼくも感じたことを話す。
この一年は、詰まるところ“知ったかぶりで状況論を振り回して、何もしないでグチグチ言ってるんじゃねぇよ”という自分への苛立ちが無限に積み重なる年だったことを思い出した。会社に入ってよかったと思ったのは、ぼくのような非コミュ人間でも、他人と関わるということ、あるいは関わらないということが一体どういうことなのかということを実態をもって見ることができたということだ。企画が実現するまでの過程。

雑誌の方はようやく取材依頼を開始。
高校〜大学にかけて好きだった女の子と、週一ペースで2000字ぐらいの携帯メールのやり取りをしていたんだけど、その頃の頭脳フル回転具合を久々に出した。が、恋愛と同様に空回りしているんじゃないかとすごく不安になる。

ちなみにこの日記は「上手く書こうとして時間が空くなら、多少の脊髄反射っぷりに目をつぶってとにかく量を目指す」ことを志向して書かれている。ぼくらはTwitterの140文字でさえ“いま・ここ”で起こっていることの情報を欲しがっている。世の中で星の数ほど起こっている面白いことを知らないことをとても不幸だと思っている。あるのに触れられない不幸。知ってしまった不幸。
のだけれど、そこで一番大切なのは「なにを・どこまで書いていいのか」というセンスの問題である。上のようなことはそもそも書く・書かれるべきなのかぼくにはまだわからない。のに発表できてしまう環境がある。これは不幸なのだろうか。環境は何も志向しない。

『野戦と永遠』で鮮烈なデビューを果たした佐々木中氏のインタビューを読む。ぼくもこの人の存在を知ったのは、昨年末の「エクス・ポナイト」でだった(これの感想も書きたいのだけれど)。

http://www.k-hosaka.com/henshu/yasen.html

佐々木:仰る通り、この「社会」が、「現在」が、そしてその「現在の社会」を生きている「自分」が「分からない」という漠然とした不安が存在する。その不安を利用して「知と情報」を所有していると思い込んでいる側が、所有していないと思い込んでいる人々を搾取している状況が確かにあります――「搾取している」とはっきり言いましょう。それに社会学をはじめとした社会科学が大きく関与しているのは否定しえない事実でしょう。
(中略)
「自分」と「現在」を説明しなければならない、そのためには知を、情報を得なくてはならない。この強迫観念には実は何の根拠もありません。ジル・ドゥルーズは「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落だ」と言いました。ドゥルーズだけでなくハイデガーも、「情報」とは「命令」という意味だと言っている。つまり、命令を聞き逃していないかという恐怖にまみれて人は動いているのです。命令に従ってさえいれば、自分が正しいと思い込めるわけですからね。しかし、ここで卒然として「命令など知らない」と言えるはずです。何かを知らなければならない?そんなことは「知ったことではない!」とね。私の現在は私のものだし、私は私のものです。自分も現在もここにあるのです。どこに探しに行く必要があるのですか?何を知る必要があるのですか?情報を、つまり命令を聞かなくてはならないだなんて、誰が決めたのですか?

この人は生粋のB-BOYでありながら、ガッチガチの哲学〜現代思想を音楽雑誌的なアオリ文体で書くすごく素敵なひとだ。
いったいどこがすごいのか。少しこのインタビューから引用してみる。

要するに、この人の言いたいことは上で書いたような「いま・ここ(の断片)」を知って何かをわかった気になってるのは、すごく愚かなことなんじゃないか、ということなのだとおもう。それをいま言うっていうのは、けっこうすごいことなんじゃないか。

たとえばこの“Twitter以降”ひとつ取っても、やっぱり注目を浴びるカルチャーはどこかに“新しくて、面白い”要素があって、それはフォローしている人にも、ぼくにも“新しくて、面白い”ことを知らなきゃいけないという強迫観念がゼロだといったら嘘になってしまうからだ。そんなことは一年後には忘れられちゃうのだから、普遍的に残るものをつくれと佐々木さんはいう。主張する。アオる。

ぼくはそういう仕事ができるだろうか。
『野戦と永遠』は高くてなかなか手が出せないのだけれど、図書館で借りても読み切れそうにないし(なんせ7000円で650ページほどある)、カード2回払いぐらいで思い切って買ってしまおうとおもう。

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル