十二月の3日間+1 (上)

<3日目(12月31日)>
新年を迎える5分前、ぼくと彼女は港区は東京タワーのすぐそばにある、増上寺というお寺の入口部分で身動きが取れなくなっていた。どうしてここを選んだかというと、「(彼女が住んでいる)武蔵小杉から近くてそれなりに大きい神社」という方向性で検索してもらった結果がそうだったからだ。

後に親戚から聞いたところによると、靖国神社では右翼と左翼の年忘れプロレス大会が繰り広げられていたそうだ。大人しくそちらに行っておけば良かった。イデオロギーに現代性は関係ない。いま・ここがすべてであり、永遠である。ぜったいそっちの方が面白いもんね。ビールでも飲んで、くっだらねーなーとか笑ったりして。

周囲には缶ビールやカメラを高く掲げ、いまにも暴動を起こしそうなまでにハイになっている若者だらけだ。うおー。きゃああああ。○○ちゃああああああん。どこいったのおおおおお。
それは、浮かれているというよりも、「この場をどうにかして謳歌したい/せねばならない」という強迫観念あるいは集団催眠的な感性に突き動かされているようにも見えた。

24時まで残り3分。
お寺の躯体によじのぼる若者がいる。後方からはなんとか中に入ろうとさらに多くの人間が入り込もうとする。
ぼくは、疲弊しきってぼんやりした頭で、「何かを置き忘れてきた気がするんだよなぁ」ということを考えていた。

<4日目(1月1日)>

カウントダウンが終わると、事前に用意されていた風船が一斉に舞い、東京タワーには「2010」の文字がライトアップされた。
あまりにも人が集まりすぎていたため、お参りをするにしても1〜2時間は気温5度以下のなか立ちっぱなしの必要があることが明白だった。ぼくと彼女は多くの人と同じように、人を掻き分け掻き分け入口を出た。

いま(さっき)・ここで2010年を迎えることがすべてであり、永遠だった。
こうして後追いで記述を進め、「永遠」を「歴史」に組み替えていく作業を行う一方、さっき・そこにいたぼくは、どうしてもそれを「永遠」以上に感じることはできなかった。さっき・そこが無数に連なるだけの現在→永遠をどう位置づけ、処理していくべきなのか。ぼくにはそれがよくわからなかった。

だってそうじゃないか。

あらゆる場所に
あらゆる人が
あらゆることを考えながら
あらゆることをやって
生きている。

それをどう解釈するかなんて
「わからない」
以外に無いんじゃないか?

<1日目(12月29日)>

仕事納めの日だった。急ぎの仕事もなかったので少しばかり書類を掃除し、未読で溜まっていた専門誌やネット記事を消化していたらあっという間に終わってしまった。
納会と称して簡単な食事とお酒が振舞われる。
会社の平均年齢が30〜40歳ということもあり、これまでも、そしてこれからも同じようなことをやり、同じような話をし続けていくような気がしてならない。楽観的というよりも、現実逃避に近いイメージ。ただこれはぼく自身のオブセッションによる印象かもしれないので、これ以上は書かない。

唐突だが、今の仕事を続けていこうか迷っている。
3年はなんとか続けようと思っていたが、それ以上に世の中の、というかメディア業界を取り巻く状況が大幅に変わってきていることは、その末端にいるつもりのぼくにさえ伝わってくるからだ。この会社が残ろうが潰れようが、今の会社でやっていることをそのまま続けるにはコスト(というか人件費)がかかりすぎる。そして、いまのぼくがいちばん不満なのは、会社の先輩方に「メディアで飯を喰っている」という自覚がなさすぎるんじゃないか?という点である(これについては、のちに「そうでない人もいる」ということがわかってので、考えを改めた)。これについても本題ではないので、また次の機会に。仮に辞めるにしても一つぐらい実験的なことをやってから辞めたいので、それについての取材や企画書書きなんてことも来年はやっていきたい。

何かが変わりつつあって、世界にはそれを具体的に記述/発声するヒントが無数にあって、これから書いてくことは、ほんとうに、ぜんぶそれについての話である。

納会を適当にやりすごし、彼女とミッシェル・ガン・エレファントの映画「ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”―LAST HEAVEN 031011―」を観に行った。今年逝去したアベフトシに捧げるために、03年に行われた解散ライヴを再編集したもの。YouTubeでPVを期間限定でアップロードしたり、新たにベスト盤をリリースしたりする動きの一環として。

ミッシェル・ガン・エレファントは、もう二度と観ることができない。だから、フィルムに永遠に刻みつけたいと思った」

映画の冒頭部分で、ミッシェルが出演したフジロックの映像が流れる。拳を高く高く掲げて迎える観衆を前に、チバはこう叫んでいた。
「俺たちが、日本のミッシェル・ガン・エレファントだ!」
ミッシェルが解散する前の世界では、日本のロック音楽が海外のロック音楽と比べて、質的に劣るものだとバカにされ続けていた。2chでよく見かけた「○○なんて××の劣化コピーじゃんか(笑)」という煽りは、それなりの教育的効果があったのだなぁと今では思う。固有名詞の挙がらない批判はリスナーに対する人格批判以上の意味を持ち合わせず、つまらない毛づくろいコミュニケーションに回収されるだけだ。RADWIMPSや9mmといった「(現在の)ロキノン系」ファンが放つ、批判を恐れるあまり排他的な攻撃性を帯びた雰囲気は、「その趣味を持つこと」が市民権を得る直前の、95年〜06年ごろのオタクに近いと思う。

まぁ、もちろんYMOボアダムス石野卓球コーネリアスなど世界で評価されるアーティストは少なくなかったし、先行世代のノスタルジーに乗っかりたいわけでもない。

話を戻すと、日本のロック音楽ファン、とくに中村一義くるりクラムボンスーパーカーキリンジ七尾旅人ナンバーガールといった90年代のバンド(デビュー時期が重なったことから「98年組」と形容されることもある)のファンは「ようやく世界相手に戦えるバンドが出てきた!」とものすごい熱量で彼らを迎えており、フジロックでのライヴはメディアでも同様の論調で騒がれていた。

いたものの、CDの売り上げ自体は1998年をピークに現在に至るまで下降を続ける。「98年組」の急先鋒であったナンバーガールは02年に解散、スーパーカーも04年に解散した。七尾旅人はメジャー契約を切られ、くるりはメンバーチェンジが相次いだ。映画の舞台となる2003年は、そうした「撤退戦」の真っ直中だったのだ。

その後の世界はご存じの通り。後続世代はメディア(というかロキノン)を巻き込んだ毛づくろいコミュニケーションに終始し――もちろん例外はいくらでもある。「NANO-MUGEN FES.」を主催し、国内外のインディー、あるいはかつてメジャーだったバンドの「(再)発見/紹介」に努めたアジアン・カンフー・ジェネレーションについては今一度考える必要があるだろう。――、「98年組」はいつまで経っても撤退戦を終わらせてもらえない。公開2週間経っても立ち見が出るぐらいの人が、「世界を終わらせない(注:映画ポスターに書かれたコピー)」音楽を聴きに来ているという現実が、いま・ここにはある。ゼロ年代にミッシェルを超えるロック・バンドが日本から出てきたかと問えば、10人中10人「ノー」と答えるのではないだろうか。ミッシェルが終わらせたはずの世界を「終わらせ(たく)ない」人たちがこんなにもいるんだから。

そして、こんなことを何度も何度も書き続けるぼくも、そんな状況に加担しているんじゃないだろうか?
彼らのラストシングルとなった「エレクトリック・サーカス」には、こんな歌詞がある。

「俺達に明日がないってこと/初めからそんなのわかってたよ/この鳥たちがどこから来て/どこへ行くのかと同じさ」

ずるずると自己模倣を繰り返すよりも、潔く解散することを選んだ彼らだからこそ、既にノーカット版が出ている映像を再編集することの意味はあったのだろうか。そこがやはり気にかかってしまう。そして気にかかったまま映画は終わってしまった。映画の内容にはほとんど触れなかったが、他の映画よりも明らかに大きな音で聴く/観るミッシェルは途方もなく格好良かったという点だけで観る価値はある。「ゲット・アップ・ルーシー」や「スモーキン・ビリー」、「リボルバー・ジャンキーズ」のコール&レスポンスで何度も声を出してしまいそうになった。

彼女が「隣に座ってた女の子が途中からぼろぼろ泣きだして、私もちょっとつられちゃった」と言っていたが、ぼくは全く涙腺が緩まなかった。緩まなかったどころか、スタッフロールをバックに流れる「GIRL FRIEND」(一番好きな曲だ)を聴きながら、ある一つの確信を得ていた。

世界はくだらないから/ぶっ飛んでいたいのさ
天国はくだらないから/ぶっ飛んでいたいのさ

希望は嘘だらけで/ぶっ飛んでいたいのさ
だから僕はあの娘と/ぶっ飛んでいたいのさ
I Love You

悲しみでこの世界は作られているから
僕はあの娘と二人で/ぶっ飛んでいたいのさ
Alcohol/Drugs/Rock'n'roll
Love&Sex/Children/この子たちは守りたい

ミッシェルがいなくなっても、「日本のロック音楽」が終わっても、ひたすらくだらない世界に生きていても、どうにかして「ぶっ飛」び続けること。ぼく(ら)はそれをひたすらにやらなきゃいけない。ミッシェルの話なんかしない。90年代の話なんかしない。ロックに限らなければ、素敵な音楽は星の数ほど控えている。それに目を向ける必要がある。光を当てる必要がある。幕が閉じた舞台に、そっと背を向けてあげる必要がある。

ミッシェルがいなくなった幕張メッセには、顔をくしゃくしゃにしながら号泣するファンが大勢映し出されていた。その映像さえも終わり、明るくなった劇場から、まばらな拍手が聞こえた。ぼくは拍手なんかしなかった。それでいいのだと思う。
世界は個々人の都合でどうにかなるものではなく、否応にでも始まったり終わったりしてしまうものなんだ。

<2日目(12月30日)>

東のエデン 劇場版? The King of Eden」を観に行く。

舞台は1991年生まれが就職し始める年代(2015年ごろ?)の日本。
記憶を失い、「セレソンケータイ」のみが手元にあった主人公滝沢(映画ではとある事情で名字が変わる)。「セレソンケータイ」とは100億円分の電子マネーが入り、その範囲であらゆる願い事を叶えてくれるコンシェルジュジュイス」がサポートするという魔法の携帯電話。彼に課せられたミッションは、同じケータイを持った11人の「セレソン」と競い合いながら「100億とジュイスで日本をどうにかして良い国にしろ」というものだった…。

というのが大まかなあらすじ。近未来サスペンスもの。キャラデザインはハチクロのひと。全11話からなるTVアニメ版のラストからそのまま物語が続き、さらにもう一作劇場版が控えている(3月公開予定)ので、直接的な内容の言及は避ける。

避けるけれど、とても面白い作品だった。
大学時代ははっきり言ってほとんど皆無に等しいぐらいフィクションに触れてこなかった。フィクションについてものを書く人の文章は読んでも、それは江藤淳の「成熟と喪失」的な(といってもこの本や似たようなことを書く人を批判するわけではない)、自分の興味に基づいた研究をひたすら進め、それを面白がれるかどうかとしか思えなかったからだ。

でも、それは間違いだった。
来年はむしろフィクションこそ追う必要があるのだと思う。
というのも1995年、ウィンドウズ95が発売され、インターネットが一般化した年)から、ぼくらの想像力がまったく追いつけていないからだ。

たとえば滝沢と友好関係にある学生起業団体「東のエデン」が提供する同名コミュニティサイトのサービスでは、ケータイやデジカメで撮った画像にコメントや解説をつけることが可能な、AR(仮想現実)技術が使用されている。このコメントは個々人につけることもでき、物語内でも重要な役割を果たしている。

こうしたSFチックなガジェットが「空想科学」的に夢想されていた時代と違い、現実にも「セカイカメラ」という「東のエデン」サービスに近いウェブサービスが存在している。ぼくが上で挙げた想像力というワードは、セカイカメラを生み出す創造力ではなく、あくまでそうした技術・機能・インフラ(アーキテクチャ)をどう使うのかという「想像力」である(そしてぼくの場合、それを「編集力」というワードにまで繋げたいし繋げなければならないと痛感している)。

東浩紀が今年の後半から提唱している「民主主義2.0」というのも詰まるところそういう話だ(詳しくは以下の動画+新作小説「クォンタム・ファミリーズ」を参照のこと)。そしてそれは、世のおじさんたちが大好きな「こんな大変な時代だからこそ、戦前・戦後の立派な人たちを見習って新たな日本のビジョンを見出さなければならない」というお話へと接続していく。あなたたちは、そうやって問題提起ばっかりして、ぜんぜん解決策なんか考えてないじゃないか。仮に考えたとしても、訳がわからないだとか、実現は無理だとか、足引っ張ってばっかりじゃないか。そういう話である。

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もちろん、それはSFだけ読んでればいいという話ではない。物語を創る/読む→それについて考える/語る(書く)という作業を通じて、どんな未来がいいだとか、どんな過去がよかっただとか、どんな風に生きればいいだとか、どんな生き方が間違ってるっぽいだとか、そんな話をうだうだする必要があるのだ。「文学は唯一人間のあるべき姿について考えてきた」だとかそんなお題目はほんとどうでもよくて、先行きが見えないとかやりたいことが見つからないとかそんな悩んでる暇なんて全然なくて、想像力をがりがり先鋭化していく必要がだけが、ある。

つづく。