ノー推敲日記

3月4日

朝起きると歯茎が猛烈に痛む。何も食べることができなかった。
2か月前ほどからせこせこ歯医者に通っていたので、その際にもらった痛み止めを飲んで耐える。

昼は会社の先輩(といっても15歳ぐらい年上の方)と食べに行く。
仕事の上で色々な構想について話してもらう。ぼくも感じたことを話す。
この一年は、詰まるところ“知ったかぶりで状況論を振り回して、何もしないでグチグチ言ってるんじゃねぇよ”という自分への苛立ちが無限に積み重なる年だったことを思い出した。会社に入ってよかったと思ったのは、ぼくのような非コミュ人間でも、他人と関わるということ、あるいは関わらないということが一体どういうことなのかということを実態をもって見ることができたということだ。企画が実現するまでの過程。

雑誌の方はようやく取材依頼を開始。
高校〜大学にかけて好きだった女の子と、週一ペースで2000字ぐらいの携帯メールのやり取りをしていたんだけど、その頃の頭脳フル回転具合を久々に出した。が、恋愛と同様に空回りしているんじゃないかとすごく不安になる。

ちなみにこの日記は「上手く書こうとして時間が空くなら、多少の脊髄反射っぷりに目をつぶってとにかく量を目指す」ことを志向して書かれている。ぼくらはTwitterの140文字でさえ“いま・ここ”で起こっていることの情報を欲しがっている。世の中で星の数ほど起こっている面白いことを知らないことをとても不幸だと思っている。あるのに触れられない不幸。知ってしまった不幸。
のだけれど、そこで一番大切なのは「なにを・どこまで書いていいのか」というセンスの問題である。上のようなことはそもそも書く・書かれるべきなのかぼくにはまだわからない。のに発表できてしまう環境がある。これは不幸なのだろうか。環境は何も志向しない。

『野戦と永遠』で鮮烈なデビューを果たした佐々木中氏のインタビューを読む。ぼくもこの人の存在を知ったのは、昨年末の「エクス・ポナイト」でだった(これの感想も書きたいのだけれど)。

http://www.k-hosaka.com/henshu/yasen.html

佐々木:仰る通り、この「社会」が、「現在」が、そしてその「現在の社会」を生きている「自分」が「分からない」という漠然とした不安が存在する。その不安を利用して「知と情報」を所有していると思い込んでいる側が、所有していないと思い込んでいる人々を搾取している状況が確かにあります――「搾取している」とはっきり言いましょう。それに社会学をはじめとした社会科学が大きく関与しているのは否定しえない事実でしょう。
(中略)
「自分」と「現在」を説明しなければならない、そのためには知を、情報を得なくてはならない。この強迫観念には実は何の根拠もありません。ジル・ドゥルーズは「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落だ」と言いました。ドゥルーズだけでなくハイデガーも、「情報」とは「命令」という意味だと言っている。つまり、命令を聞き逃していないかという恐怖にまみれて人は動いているのです。命令に従ってさえいれば、自分が正しいと思い込めるわけですからね。しかし、ここで卒然として「命令など知らない」と言えるはずです。何かを知らなければならない?そんなことは「知ったことではない!」とね。私の現在は私のものだし、私は私のものです。自分も現在もここにあるのです。どこに探しに行く必要があるのですか?何を知る必要があるのですか?情報を、つまり命令を聞かなくてはならないだなんて、誰が決めたのですか?

この人は生粋のB-BOYでありながら、ガッチガチの哲学〜現代思想を音楽雑誌的なアオリ文体で書くすごく素敵なひとだ。
いったいどこがすごいのか。少しこのインタビューから引用してみる。

要するに、この人の言いたいことは上で書いたような「いま・ここ(の断片)」を知って何かをわかった気になってるのは、すごく愚かなことなんじゃないか、ということなのだとおもう。それをいま言うっていうのは、けっこうすごいことなんじゃないか。

たとえばこの“Twitter以降”ひとつ取っても、やっぱり注目を浴びるカルチャーはどこかに“新しくて、面白い”要素があって、それはフォローしている人にも、ぼくにも“新しくて、面白い”ことを知らなきゃいけないという強迫観念がゼロだといったら嘘になってしまうからだ。そんなことは一年後には忘れられちゃうのだから、普遍的に残るものをつくれと佐々木さんはいう。主張する。アオる。

ぼくはそういう仕事ができるだろうか。
『野戦と永遠』は高くてなかなか手が出せないのだけれど、図書館で借りても読み切れそうにないし(なんせ7000円で650ページほどある)、カード2回払いぐらいで思い切って買ってしまおうとおもう。

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル

ノー推敲日記

3月3日

前日深夜にTSUTAYAさんにて

神聖かまってちゃん『ロックンロールは鳴りやまないっ」(無料レンタル)
BELLE AND SEBASTIAN『The Life Pursuit』
BELLE AND SEBASTIAN『The Boy with the Arab Strap
・Camera Obscura『Let's Get Out of This Country』
・Kダブシャイン『自主規制』
・Taylor Swift『FEARLESS』

を借りてくる。
ベルセバを聴いてこなかった自分をなかったことにしたい。カメラ・オブスキュラの来日に行かなかった自分を殺したい。「If Looks Could Kill」はある意味ストロークス1st以来の衝撃。最大音量で聴きたいアンセムソング。


グラミー賞を獲ったテイラー・スフィフトはJ-POP的な安心感を強烈に感じる。以前菊地成孔×大谷能生慶應の講義にモグラってた時に松尾潔さん(EXILEのプロデューサー)がゲストで来ていて「アメリカで売れてるヒップホップやR&Bをたくさん聴いて研究したけど、結局売れてるJ-POPと変わらなかった(大意)」という話をしてたのを思い出した。あとズームインで来日ライヴ映像が流れてたけど、みんなサビで拳を掲げまくってて「ロキノン系のライヴかっつーの」とずっこけたことも思い出した。


Kダブシャインはなんかもう色々衝撃的だった。でも、音楽の「言葉」でラディカルさを表現するっていうことはたぶんこういうことでもある。宮台真司との対談ライナーを読んでなるほどねーと納得。『14歳からの社会学』『日本の難点』以降のミヤダイせんせー的にはそうなるな、と。

またも午前中取材。同行して話を聞いてただけだけど。
「結局人間はそれぞれの立場によってやるべきことがあって、それをいかに最大化させる以上でも以下でもない」ということを改めて実感する。言葉にすると物事がシンプルになっていく、っていうことはやっぱりよくあることだ。

午後は天気が良かったので、書評ページ用の本を買い出しに。
著作『CODE』やクリエイティブ・コモンズの活動で一躍有名となったローレンス・レッシグの新刊『REMIX』が出ていたので買う。今から読むのがたのしみ。
今週・来週で出る『ツイッターノミクス』とシューゲイザーディスクガイド本もきっと買う。
福嶋亮大さんがユリイカで連載していた『神話社会学』のまとめ本は25日に発売かー。

雑誌は取材依頼のための準備が90%ぐらい終了。その他根回しなど。今日か明日にはやっとこさ送れるはず。受けてくれるといいな。

彼女氏がフリーペーパー『apetope(あぺとぺ)』を創刊し、一部ウェブで公開したとのこと。
http://apetope.web.fc2.com
asunaさんのインタビューが読めます。『room note』は心の一枚。
現物は未だもらえず。

雑誌の内容は、インターネット以降と音楽についての特集にしようと考えていて(予定ですよー!!!!!)参考になるかなーと思って簡単な年表を作ってみたら本当に激動すぎてびびった。

1989年
4月 MP3の特許が登録される


1995年
2月 世界初のインターネットラジオRadio HK開局
8月 Windows95(英語版)発売


1999年
6月 Napster開設


2000年
11月 Amazon.co.jp公開


2001年
WinMX公開
10月 第一世代iPod発売
11月 日本でWinMXによる逮捕者が出る


2002年
3月 日本初のCCCD形式でのリリースとなったBoA『Every Heart -ミンナノキモチ-』(エイベックス)発売
5月 Winnyベータ版配布開始


2003年
6月 クリエイティブ・コモンズ・ジャパン発足
4月 iTunes Storeサービス開始


2004年
5月 Winny開発者が逮捕される
9月 エイベックスがCCCD形式でのリリース緩和を発表


2005年
1月 著作権法改正により、音楽レコードの還流防止措置(レコード輸入権制度)施行
2月 YouTube公開
9月 WinMXの全サーバー閉鎖


2006年
11月 MySpace日本語版公開
12月 ニコニコ動画(仮)公開


2007年
3月 Ustreamベータ版サービス開始


2008年
6月 iTunes Storeが累計50億曲以上を販売したと発表


2009年
1月 iTunes Storeが全ての楽曲を256kbps AAC DRMフリーの形で購入できるようにすると発表


2010年
3月 ナップスター・ジャパンが5月31日をもってサービス終了を発表

スーパーカーのラストアルバム『Answer』がCCCDで泣く泣く買ったのとか覚えてるなぁ。
YouTubeの公開とWinMXのサーバー停止が一カ月しか違わないのがなんだか象徴的。
「これは外せないだろ!」ってのがあったら反映するのでご指摘ください。

REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方

REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方

ツイッターノミクス TwitterNomics

ツイッターノミクス TwitterNomics

シューゲイザー・ディスク・ガイド (P-Vine Books)

シューゲイザー・ディスク・ガイド (P-Vine Books)

神話が考える ネットワーク社会の文化論

神話が考える ネットワーク社会の文化論

Room Note

Room Note

ノー推敲日記

Twitterを始めてから本当に日記というものが書けなくなったので、短くてもいいから定期的に書いていこうと思った。

3月1日

仕事をする。
社内で半分公式・半分非公式のTwitterアカウントをぼくが管理しているのだけれど、「やるならちゃんと戦略やビジョンを考えて企画書を通せ」という当たり前すぎる指摘をいただく。いつか言われると思っていたから資料は集めていたんだけど。
ただ、これを書こうとするとかなり広範囲に渡って色々書く必要が出てきて、1年目の新入社員がこんなこと言っていいのか的なことをかなり書くことになってしまうと思う。まぁ、何事もやらなければ何もわからないので、時間を見つけてやる。

メールでMくんと雑誌企画の打ち合わせをするなど。

夜は渋谷で彼女とビビンバを食べる。
ほぼ日手帳」2010年版と、一条裕子「阿房列車」の2巻を購入。内田百間の同名エッセイを漫画化したもの。すべてが淡々と書かれている、ミニマリズムの極致。1巻はひとり海外旅行(ドイツ〜オランダ)に行った時に読んだが、今回は帰りの地下鉄で読んでいた。やっぱり旅行するときに読むべきだとおもう。
彼女が帰り際に「ポケットの中でカイロの中身が暴発してる…」とわけのわからないことを言い出すが、もう動じない。

阿房列車 2号 (IKKI COMIX)

阿房列車 2号 (IKKI COMIX)

3月2日

午前中は取材。
大事なのは「少し考えればわかる程度の基本的事項を、完全に実行すること」という話。それを「完全に実行する」ってことがとんでもなく難しいということも含めて、よくある話をぼくらは何十回と読み直さなければならない。

雑誌は取材に際しての勉強をひたすらアンド質問内容をひたすら考える。

積読だった小沼純一編「ジョン・ケージ著作選」を読み始める。「音楽について語ること」についての教科書と断じてしまって構わないぐらい素敵な内容もさることながら、工夫が凝らされまくった文字組みに感動する。一つの文章につき最低ひとつは付箋を貼る。
勢いで「サイレンス」もAmazonにて注文。3000円以上の本は勢いで買う必要がある。中平卓馬「見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977」もこの勢いで注文しそうになったけど思い止どまる。ほしい………

ジョン・ケージ著作選 (ちくま学芸文庫)

ジョン・ケージ著作選 (ちくま学芸文庫)

サイレンス

サイレンス

見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977

見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977

川本真琴『The Complete Singles Collection 1996〜2001』と『音楽の世界へようこそ』


ブログを書いていない間も「音楽について書くこと」について色々考えていたのだけれど、やっぱり不毛な作業だという印象が拭えない。歌詞や背景や声や歌唱法や演奏や発言やコードやテクノロジーや譜割りなんかについて、明確に「他の全てを差し置いて“音楽”を取り上げて書かれるべきこと」の存在する“批評”であれば、それはどんどん書かれるべきだしぼくはそれを読みたい。けども「J-POPについて考える」なんて見出しを打ったテキスト群の対象となる音楽は大抵「好きだから」とか「書きたいから」なんていうヨコシマな気持ちで書かれている(のだと思う)。そんな文章は音楽雑誌にも溢れていていい加減うんざりしてくるのだ。最初にアーティスト・音源の基本情報を掲載し、過去の実績を綴り、インタビュー発言や歌詞をなどを適宜引用しオチをつけて終わらせる。もっとも基礎的な文章作法。そういった文章に触れ始めた頃は気にならないが、数年も経つと嫌でもそのクリシェが目についてくる。誰のなんという音楽について書かれたものかわからなくなってくる。誰それさんが、こんな風に言ってた(書いてた)なんてことを確認するためだけにぼくたちは記事を読む。あるいはもう読まれなくなってしまったのかもしれない(音楽について書く人間について語られることは、少なくともぼくの知っている“音楽好き”コミュニティの中でもかなりまれだ)。読まなくなってしまった人間は、こんなことについて考えない。考えるのはその不毛さに足を踏み入れてしまう、残念な人たちだけなんだ。「あー。これはいつかどこかで引用するかもしれないな」とかつぶやいて。

ちなみに、これからあなたが読む文章はほぼ100%上記に該当するフォーマットで書かれている。ぼくは自分で投げたブーメランを自分でキャッチし、そこから始まる何かについて書いていこうと思う。書いている人間はいつだって「自分の文章は一番(とまではいかなくともそれなりに)面白い」と信じているものなのだ。

とまぁ最初から明らかに不必要な蛇足から始まるのだけれど、“批評”ではない文章にはこういった蛇足・脱線にこそ何かが宿ったりするとぼくは考えているからやめるつもりはない。坂口安吾橋本治坪内祐三小田嶋隆を尊敬していると書いたら、少しは伝わるだろうか。そして、いつかは彼らに近づけるだろうか。

さて、川本真琴の新譜とベスト盤を買った。これがすごく良かったので今回はその話を書く。どちらも全国のレコード店で品切れが続出しているみたい。特にインディー作品は、製造枚数がネームバリューに対してびっくりするほど少なかったりするので、どの程度の売り上げかはわからないけど、もっと売れていいCDだと思うのは確かだ。

ぼくが川本真琴の楽曲を知ったのは1997年ごろで、小学5年生だった。ご多分に漏れず「るろうに剣心」の主題歌がきっかけで代表曲「1/2」を知り、「ミュージックステーション」に出演し同曲を歌う彼女をぼんやり眺めていた。


(この動画はミュージックステーションのものじゃないかも)

ステージ中央でアコースティックギターをかき鳴らす彼女。曲はサビで最高潮を迎える。

「唇と唇/目と目と手と手/神様は何も禁止なんかしてない/愛してる」

歌詞は「あたしまだ懲りてない/大人じゃわかんない」と続く。小学5年のぼくでさえも、彼女の歌から「おれは大人じゃないからよくわかんないけど、これはたぶんキス以上にすごいことを歌っているのだろう」ということを感じ取っていた。まだセックスという単語の意味すら知らない頃のエピソードであり、歌詞のみでなく声やパフォーマンスも込みでそう感じていたのだろう。

数ヶ月に一回送られてくる、進研ゼミのPR漫画に出演する小学生カップルはきっとやっていないであろう「何か」。セクシャルな欲求ではなく、非日常性だとか、得体の知れないものに対するぼんやりした憧憬。はっきりとした自覚はないが、意外と自分にとっての原体験として記憶されているのかもしれない。

高校一年生の時、クラスメイトにモウリさんという女の子がいた。失礼な言い方だが、可愛くも可愛くなくもない、普通な感じの子だった。ぼくは彼女とすごく仲が良いわけではなかったが、お互い個人ホームページを持っていた(まだブログが流行る前の話だ)こともありたまに彼女の日記を見ていた。

基本的にその日記はどこへ行った、何を食べたといった他愛もない内容だった。のだが、ある日を境に突然不登校になってしまい、遂には高校を辞めてしまった。詳しい理由はわからない。ただ、同時期の日記には、彼女がバイト先で年上の男の人に恋をしており、ついにキスしてしまったという内容が書かれていた。
重ねて失礼ながら、ぼくは彼女にまったくそういう(≒性的なことをするという)イメージを持ちあわせていなかったので、予期していなかった「キスしてしまった」という告白に対して、本当にびっくりしてしまった。虫が手のひらで動いたり、犬に舐められたりするような、からだが思わずぞわっとするような感覚。

セクシーな格好をして、下ネタを連発する女の子がいたとすればその子は「エッチな子なんだなぁ」と認識されるのだが、その“エッチなこと”が示す内容は実際に体験するまでよくわからないのである。

では、あの感覚はいったい何だろう。
その答えが知りたくて、ネットで女の子が書く“恋人とのセキララ恋愛日記”をひたすら読み漁ったことがあった。「会えなくてすごく寂しい」だとか「今日はいっぱいキスした」だとか、大半は似通った内容である。
なのに“実際にそれをやった人がいる”という事実と生々しさ(だと自分が思っていること)がぼくを打ちのめす。

ベスト盤=活動休止までの川本真琴を聴いていると、そんなバカバカしいことを本気で考えていたことを思い出すのだ。いわゆる“性春”ってやつだが、オリコンにチャートインするようなメジャーな音楽かつ女性でそういう歌をうたっている歌手は今でも珍しいと思う。

(この辺りについてはやはり時代背景というか、岡崎京子『Pink』や宮台真司と「まったり革命」についての話を始めたくなる。けれど、ぼくらが生きている2010年というのはもはや近代的な規範意識などどこにもなくて、知り合いの女の子がフツーに手首を切ったり「お金ないしなー」と風俗で働いたりする時代である。それをして「真面目っぽいあのコも実は…」なんてストーリーはあまりにもチープなのでやめておく。強いていえば「みんなが夢中になって暮していれば/別になんでもいいのさ(Fishmans/幸せ者)」の世界なんだと思う)

1stアルバムリリース後に発表したシングル「桜」を再生する。
性急にかき鳴らされるアコースティックギターと、息継ぎする暇をほとんど与えずに連発される歌詞。ながら聴きではほとんど聴き取ることはできない。

曲のスピードに自分を追いつかせようとあたふたしていると、すぐにAメロの2パート目に行き着く。
「かたっぽの靴が/コツンってぶつかる距離が好き/ねぇ/キスしよっか」
この「キスしよっか」にやられてしまうのだ。全体的につんのめり気味な歌が一瞬ブレイクし、そっと放たれる言葉。
さっきからグダグダと一体何を書いているのだろうという気持ちでせつなくなってくるが、本当にどきっとしてしまうのだから仕方ない。

「キスしよっか」というワード自体は、それを体験しようがしまいが打ち込むことができる。歌詞カードを改めて読み返してみても、基本的に「王道J-POP=ラブソング」の域を出ているわけではない。
フィクションであれノンフィクションであれ、そのワードに言葉や動作、雰囲気といったディティールを加えることで自分が体験しているかのような深みを与えることが、創作におけるキモの部分だ。

その“キモ”さえ押さえてしまえばどれだけ陳腐なストーリーでも、なぜか感情を動かされる“強度”が備わる。一昔前に流行った“泣ける映画”をどれだけありがちでバカバカしく感じたとしても、映画の終盤に気がつけば泣いてしまっている自分が存在する。ありがちだろうと何だろうと、自分に向けられたいま・ここでは一回性を帯びてしまうのだ。

その“キモ”とは、おそらく個性を追求した上で生まれるのではなく、それこそ小学5年生にもわかる王道を歩んだ先にあるのだろう。「キスをした」ではなく「キスしよっか」に生まれる差異。こうした王道の快楽に身を任せることがJ-POPを聴く愉しみだとぼくは考えている。

ちなみに、新譜である『音楽の世界へようこそ」の楽曲には一切こうした要素がみられない。ダークなオルタナ楽曲を連発した後、穏やかながら粘っこいブルース方面へと舵を切ったCat Power、あるいは彼女と親交の深い七尾旅人豊田道倫寄りの日本人SSW的な、それまでと全く違った音楽になっている。

まぁ、「いつまでも記号的な“女の子”を押しつけないでよ」ということだろう。なんせ9年ぶりの個人名義作品だ。ぼくも上記のようなことを女の子に話しまくってそう言われた経験がある。
PVにもなっている「アイラブユー」という楽曲がとにかく素晴らしいのだが、『音楽の世界へようこそ』はこれまで書いてきたJ-POPとは少し違った視点からの楽しみ方が必要になってくる。
それを書くと二倍の長さになってしまうので、次の機会に残しておく。

グラウンド・ゼロには行ったことがない

そういえば、ぼく(ら)はアメリカで同時多発テロのあった2001年に15歳だった。塾から帰ってきてテレビをつけると、ビルに飛行機が突っ込む映像が何度も何度も流れていた。「ああ、これは戦争になるんだろうな」というのが当時の率直な感想だった。

だからといって、何か行動を起こしたわけでも思考を巡らせたわけでもない。当時の日本は不況の真っ只中だったし、大学生は就職難だったし、ぼく自身も高校受験に追われている毎日だった。
それまでの時代と違った点があったとすれば、ぼく(ら)は学校で社会の時間に「反ベトナム戦争・反安保の学生運動があったけど失敗した」だとか「テレビで中継される湾岸戦争の映像はゲームみたいに映った」だなんてことを教えられていた、ということである。戦争が起こっても、実際に街を焼かれなくなってから60年が経過した。その間に戦争を「リアル」なものとして反対することも、戦争を「リアル」じゃないものとして徹底的に無視することも、既に経験されてしまっていたのだ。

そしてぼく(ら)を取り巻くあれこれも「リアル」に大変なことになっていて、戦争なんかよりもそっちを何とかするのが先だろう、と考えていたことを覚えている。
先日(これを書いたのは2009年11月中旬である)今さらながらチェルフィッチュ『三月の5日間』をDVDで初めて観たけれど、まさにあんな感覚だったと思う。「これからデモのシーンやりまーす」と言って舞台をぐるぐる回っているだけの二人組の感覚。世界は割と大変なことになっていて、その「大変なこと」をなんとかしようと活動している人達の存在も知っていて、自分も何らかの形で加担したほうがいいよなーと思いつつ結局何もしない。

DTP技術・インターネットを手に入れたぼく(ら)には、世界で起こった「大変なこと」が洪水のように伝わるようになっていた。「『大変なこと』をなんとかしようと活動している人達」の中には、洪水をかき分けて必死で何かを伝えようとしている人も含まれている。自分自身のことを伝える人もいれば、特定のテーマに基づいて伝えている人もいる。ぼく(ら)はそれを「あー。面白いなぁ」と思いながら、ぼーっと見つめている。あー。

再び世代論的な話に戻ると、ぼく(ら)が生まれた1986年の世代というのはロスト・ジェネレーション世代でもゆとり世代でも平成生まれでもなく、リーマン・ショック以後の新卒採用削減期にも(浪人・留年etcをしなければ)引っかからない、しいて言えば「全くレッテル貼りをされない世代」である。世界から言及されず、一切知覚されないかもしれないという恐怖。グラウンド・ゼロの外側をぐるぐるぐるぐると回り続ける不毛さ。とはいえ「ぼく(ら)は、ここに、いるよ!」と声高に主張したいわけではない。

むしろぼくが伝えたいのは「これが、ここに、あるよ!」ということである。
「リアル」や「大変なこと」は誰かによって伝えられない限り、世界から「なかったこと」にされてしまう。メディアというのはつまるところ、「なかったこと」と「あったこと」を繋ぎとめる橋のような存在なのだと思う。今はそれを、グラウンド・ゼロの外側に留まり続けながら雑誌という形式でやってみたいと思う。できるか、できないか、面白いか、面白くないかではなく、やるか、やらないか。ただそれだけである。ぼくは「やる」ことを選んだ。

この雑誌の中心点、すなわち、どういったものを志向し、どういう性格のものであるかということは、いっさい規定しない。真っ暗な情報の海にぼんやりと映る灯台のように「ここには音楽の情報があります」「ここは『何でもあり』をコンセプトにしています」といった基準となる座標軸がないということである。

勿論、そういったことが「ない」状態で統一するとそれはそれで「ない」が「ある」ということになってしまうので、「ない」というテーマ・コンセプトで統一されたコンテンツを提供するというわけではない。
からっぽの「メディア」というドアを開けてみても、そこには「なにもない」が「ある」空間が広がっているだけである。「ある」という状態をやめることはできないのだ。ぼくが言いたいのは「ある」ことをやめることができなくても、「ある」ことは簡単に・すごく短い期間で「ない」というフォルダに追いやられてしまうということだけである。去年最大のニュースは思い出すことができても、一昨年に起きた最大ニュースを即座に誦じることができるだろうか?言葉遊びじみてきたけれど、そうした様々な「ない」を「ある」に変換するメディアにしたいと思っている。

この雑誌を読んでくれたあなたは、その点について意識しながら読み進めてくれたらなぁ、と思う。
読み終えた一時間後には「この雑誌に何が載っていたか」なんて記憶の彼方に行ってしまうかもしれないけれど、この雑誌には「『ない』ということにされてしまっては困ること」しか載せるつもりはない。それが唯一の規定である。

せめてあなたの中だけでも、無数に散らばる「ない」を「ある」という状態のままにしておいて欲しい。

雑誌、つくりはじめます

さて、放置を重ねに重ね続けた当ブログですが、また復活します。

今回はお知らせというか宣言ですが、雑誌をつくろうと思っています。いわゆるミニコミってやつです。
雑誌名は「(out of)Ground Zero」を候補として考えていますが、もっと良いものが思いついたら変更します。
形式としては、紙&有料で出したいと考えています。
しかし、
・(ぼくのリアル友人・知人に協力を仰ぎまくりながらも)基本的にぼく一人で大まかな作業を行うこと
・どこの馬の骨ともつかないような人間が雑誌を作って売ることのコストとリスク
・今後さまざまな方に取材・協力依頼をする上で名刺のようなものが欲しかったこと
を考え、創刊準備号としてWebマガジンの形式で出す予定です。こちらはもちろん無料です。今は紙だのWebだのと特定の媒体にこだわる意味がどんどん消失していっている時代でもあり、活動をフレキシブルに行っていきたいという意味合いもあります。

(そして、先日からプロフィールに本名を掲載しましたが、これも取材・協力依頼をする上で「依頼を送っているのはこういう人間で、本当に存在する」ことをお伝えしたかったので変更しました。一応リアル仕事もあるので、今後突然ハンドルネーム表記に戻す可能性も十分あります。「空中キャンプ」の伊藤さんや、「第二次惑星開発委員会」の宇野さんのように使い分けられたら良いのですが)

雑誌をつくろうと思った時に考えていたことは「グラウンド・ゼロには行ったことがない」という文章を去年の11月頃にひっそり書き、下に掲載しました。これがマニュフェストのようなものだと考えているので、お手数ですがそちらをご覧ください。

グラウンド・ゼロには行ったことがない」にはわりと抽象的・観念的なことばかり書いてしまったので、このエントリには具体的・状況的なことを以下に記そうと思います。
自分が予想していた以上に長くなってしまった本当に申し訳ないのですが、どうかお付き合いください。

ぼくは大学2年〜卒業まで、具体的には2007年から2009年まで、「cinra magazine」というCDとWebで展開するカルチャーマガジンのボランティアスタッフとして関わらせていただいていました。号数で言えば13号〜19号(休刊号)までで、インタビュー・編集・執筆に関わったのは以下の記事です。

<vol.14 怒濤の100枚レビュー!音楽ジャンル探訪>
http://cinra-magazine.net/vol.14/CONTENTS/MUSIC/T4.HTM

<vol.15 一人で作れるマスメディア〜注目の個人blog紹介〜>
http://cinra-magazine.net/vol.15/CONTENTS/INDEX.php?id=39

<vol.15 太るのか痩せるのか!?マクドナルド VS ビリーズブートキャンプ
http://cinra-magazine.net/vol.15/CONTENTS/INDEX.php?id=57

<vol.16 作戦会議「オバサンと闘う方法を考える」>
http://cinra-magazine.net/vol.16/CONTENTS/INDEX.php?id=33

<vol.17 問題児、鹿野淳のジャーナリズム>
http://cinra-magazine.net/vol.17/CONTENTS/index.php?id=8

<vol.17 インディペンデントマガジンの逆襲>
PLANETS
http://cinra-magazine.net/vol.17/CONTENTS/index.php?id=16

HB
http://cinra-magazine.net/vol.17/CONTENTS/index.php?id=16

MAG FOR EARS
http://cinra-magazine.net/vol.17/CONTENTS/index.php?id=16

<vol.17 その日ぼくが見た、インディーロックの「旅」について>
http://cinra-magazine.net/vol.17/CONTENTS/index.php?id=16

<vol.18 お絵かき教室入門 〜濁ったその眼をザブザブ洗え!〜>
http://cinra-magazine.net/vol.18/CONTENTS/index.php?id=29

<vol.19 これぞ最強 感動の1文を探せ 読書家6名が選ぶ、小説6冊>
http://cinra-magazine.net/vol.19/CONTENTS/index.php?id=45

<ARTIST INDEX(アーティストの音源レビュー。音源は全てネットで聴けます)>
Clean Of Core(vol.13)、bed(vol.14)、ARTLESS NOTE(vol.15)、ツチヤニボンド(vol.16)、相対性理論(vol.16)、Luminous Orange(vol.17)、Limited Express (has gone?) (vol.18)、uhnellys(vol.18)

およそ半分ほど体当たり企画なような気がしますが、おそらく気のせいでしょう。自分の顔どころか、だらしないお腹まで全世界に公開してしまっているので恥ずかしい限りです(そして、一週間マクドナルド生活はほんとうに辛いです)。

バックナンバーのページを見ていただければわかるように、特集の隅から隅までめちゃくちゃ豪華です。音源が収録されているバンドを見ても「ゼロ年代のインディーシーンでは、こんなかっこいいバンドがたくさんいたんだよ」ということが一目瞭然でしょう。
ゼロ年代の想像力」出版前にPLANETS宇野さんにインタビューをしたり、「シフォン主義」が全国流通した前後の相対性理論レビューを書いたことは、ほんのちょっぴり自慢です。

ぼくが就活をし始めたころ(2008年初旬)に、既にオープンしていたカルチャーニュースサイト「CINRA.NET」にコンテンツ供給を一本化するということで「cinra magazine」は休刊となり、「CINRA.NET」ではTHE NOVEMBERSの1stフルアルバム発表時にインタビューさせていただきました。

cinraのスタッフの方々、特に編集長の万作さんには数多くの相談に乗っていただき、言葉にできないぐらい感謝しています。そして、ぼくはこの頃から「何らかの形で恩返しができないだろうか」と考えていました。万作さんに企画を提出し、「CINRA.NET」の記事として発表させていただくことも考え、実際にそのために動いたりもしていたのですが、様々な出来事とぼくの怠慢(後者が90%以上)が重なり、このような形での恩返しとなりました。というかする予定です。します。

また、ぼくが「何かしたいなぁ」とうだうだ考えていた2009年は、カルチャー誌にとって大変動の一年であったとも記憶しています。
大好きだった「広告批評」「STUDIO VOICE」「remix(休刊ではないものの、編集部総入れ替え)」がこの一年で休刊しています。
“雑誌は生き物であり、必ず寿命を迎える”という言葉もありますし、「remix」は音楽専門誌ですが、ある特定のカルチャーに依拠しない、一冊の本の中に「雑」なものが無数に散りばめられている雑誌はもう本当に成り立たない。ぼくにとって、そんな死刑宣告を突き付けられたような印象があった一年でした。

一方で、09年の後半には“新しい動き”も感じていました。
「ミニコミ2.0」とそれらも交わるかたちでのTwitterやUSTの流行です。
cinra magazine時代にも個人ブログ特集やミニコミ特集を担当したぐらいなので、それなりに主要どころはチェックしていたんですが、これら一連の動きというのは音楽におけるインディーがもはやメジャーよりも質が良い&売れる(という事例もある)ということを証明してしまったことに近い現象が、ミニコミでも起こっている気がします。

メジャー=企業としての組織体となってしまった出版社よりも、自由に、そして数年前には想像できなかったであろうスピードで、それらは素敵なコンテンツを大量に送り出してくれます。

こうした流れのなかでぼくが特に面白いと思っていることは、特定ジャンル(それは「ミニコミ」というジャンルも含みます)の中で一番になることではなく、乱立・連帯し全体として盛り上げていこうという意思が感じられる点です。

“面白いものだったら、どれだけ多くの雑誌があったって構わない”
情報過多と言われるこの時代にそんな仮定が成立するのであれば、ぼくもそこに混じりたい。ぼくに色んなことを教えてくれた「雑誌」に恩返しがしたい。

それが創刊を決心した理由であり経緯あり、先だっての目標です。
まだまだ言いたいことはありますが、あまりに長すぎてもどうかと思うので、雑誌の宣伝も兼ねてブログに書いていこうと思います。

とは言いつつも、現時点での進捗としては企画概要がようやく完成→取材依頼開始というへっぽこな段階です。このタイミングで発表したのも、いざ雑誌を作っても知名度が低すぎるあまり誰も読んでない、という状況を避けたかったという理由からです。デザイン(紙・ネット両方)・写真関係に全くツテがありません。もしお手伝いしていただけるという奇特な方がいらっしゃれば、ブログ最上段のアドレスまでご連絡いただけると幸いです。

十二月の3日間+1 (上)

<3日目(12月31日)>
新年を迎える5分前、ぼくと彼女は港区は東京タワーのすぐそばにある、増上寺というお寺の入口部分で身動きが取れなくなっていた。どうしてここを選んだかというと、「(彼女が住んでいる)武蔵小杉から近くてそれなりに大きい神社」という方向性で検索してもらった結果がそうだったからだ。

後に親戚から聞いたところによると、靖国神社では右翼と左翼の年忘れプロレス大会が繰り広げられていたそうだ。大人しくそちらに行っておけば良かった。イデオロギーに現代性は関係ない。いま・ここがすべてであり、永遠である。ぜったいそっちの方が面白いもんね。ビールでも飲んで、くっだらねーなーとか笑ったりして。

周囲には缶ビールやカメラを高く掲げ、いまにも暴動を起こしそうなまでにハイになっている若者だらけだ。うおー。きゃああああ。○○ちゃああああああん。どこいったのおおおおお。
それは、浮かれているというよりも、「この場をどうにかして謳歌したい/せねばならない」という強迫観念あるいは集団催眠的な感性に突き動かされているようにも見えた。

24時まで残り3分。
お寺の躯体によじのぼる若者がいる。後方からはなんとか中に入ろうとさらに多くの人間が入り込もうとする。
ぼくは、疲弊しきってぼんやりした頭で、「何かを置き忘れてきた気がするんだよなぁ」ということを考えていた。

<4日目(1月1日)>

カウントダウンが終わると、事前に用意されていた風船が一斉に舞い、東京タワーには「2010」の文字がライトアップされた。
あまりにも人が集まりすぎていたため、お参りをするにしても1〜2時間は気温5度以下のなか立ちっぱなしの必要があることが明白だった。ぼくと彼女は多くの人と同じように、人を掻き分け掻き分け入口を出た。

いま(さっき)・ここで2010年を迎えることがすべてであり、永遠だった。
こうして後追いで記述を進め、「永遠」を「歴史」に組み替えていく作業を行う一方、さっき・そこにいたぼくは、どうしてもそれを「永遠」以上に感じることはできなかった。さっき・そこが無数に連なるだけの現在→永遠をどう位置づけ、処理していくべきなのか。ぼくにはそれがよくわからなかった。

だってそうじゃないか。

あらゆる場所に
あらゆる人が
あらゆることを考えながら
あらゆることをやって
生きている。

それをどう解釈するかなんて
「わからない」
以外に無いんじゃないか?

<1日目(12月29日)>

仕事納めの日だった。急ぎの仕事もなかったので少しばかり書類を掃除し、未読で溜まっていた専門誌やネット記事を消化していたらあっという間に終わってしまった。
納会と称して簡単な食事とお酒が振舞われる。
会社の平均年齢が30〜40歳ということもあり、これまでも、そしてこれからも同じようなことをやり、同じような話をし続けていくような気がしてならない。楽観的というよりも、現実逃避に近いイメージ。ただこれはぼく自身のオブセッションによる印象かもしれないので、これ以上は書かない。

唐突だが、今の仕事を続けていこうか迷っている。
3年はなんとか続けようと思っていたが、それ以上に世の中の、というかメディア業界を取り巻く状況が大幅に変わってきていることは、その末端にいるつもりのぼくにさえ伝わってくるからだ。この会社が残ろうが潰れようが、今の会社でやっていることをそのまま続けるにはコスト(というか人件費)がかかりすぎる。そして、いまのぼくがいちばん不満なのは、会社の先輩方に「メディアで飯を喰っている」という自覚がなさすぎるんじゃないか?という点である(これについては、のちに「そうでない人もいる」ということがわかってので、考えを改めた)。これについても本題ではないので、また次の機会に。仮に辞めるにしても一つぐらい実験的なことをやってから辞めたいので、それについての取材や企画書書きなんてことも来年はやっていきたい。

何かが変わりつつあって、世界にはそれを具体的に記述/発声するヒントが無数にあって、これから書いてくことは、ほんとうに、ぜんぶそれについての話である。

納会を適当にやりすごし、彼女とミッシェル・ガン・エレファントの映画「ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”―LAST HEAVEN 031011―」を観に行った。今年逝去したアベフトシに捧げるために、03年に行われた解散ライヴを再編集したもの。YouTubeでPVを期間限定でアップロードしたり、新たにベスト盤をリリースしたりする動きの一環として。

ミッシェル・ガン・エレファントは、もう二度と観ることができない。だから、フィルムに永遠に刻みつけたいと思った」

映画の冒頭部分で、ミッシェルが出演したフジロックの映像が流れる。拳を高く高く掲げて迎える観衆を前に、チバはこう叫んでいた。
「俺たちが、日本のミッシェル・ガン・エレファントだ!」
ミッシェルが解散する前の世界では、日本のロック音楽が海外のロック音楽と比べて、質的に劣るものだとバカにされ続けていた。2chでよく見かけた「○○なんて××の劣化コピーじゃんか(笑)」という煽りは、それなりの教育的効果があったのだなぁと今では思う。固有名詞の挙がらない批判はリスナーに対する人格批判以上の意味を持ち合わせず、つまらない毛づくろいコミュニケーションに回収されるだけだ。RADWIMPSや9mmといった「(現在の)ロキノン系」ファンが放つ、批判を恐れるあまり排他的な攻撃性を帯びた雰囲気は、「その趣味を持つこと」が市民権を得る直前の、95年〜06年ごろのオタクに近いと思う。

まぁ、もちろんYMOボアダムス石野卓球コーネリアスなど世界で評価されるアーティストは少なくなかったし、先行世代のノスタルジーに乗っかりたいわけでもない。

話を戻すと、日本のロック音楽ファン、とくに中村一義くるりクラムボンスーパーカーキリンジ七尾旅人ナンバーガールといった90年代のバンド(デビュー時期が重なったことから「98年組」と形容されることもある)のファンは「ようやく世界相手に戦えるバンドが出てきた!」とものすごい熱量で彼らを迎えており、フジロックでのライヴはメディアでも同様の論調で騒がれていた。

いたものの、CDの売り上げ自体は1998年をピークに現在に至るまで下降を続ける。「98年組」の急先鋒であったナンバーガールは02年に解散、スーパーカーも04年に解散した。七尾旅人はメジャー契約を切られ、くるりはメンバーチェンジが相次いだ。映画の舞台となる2003年は、そうした「撤退戦」の真っ直中だったのだ。

その後の世界はご存じの通り。後続世代はメディア(というかロキノン)を巻き込んだ毛づくろいコミュニケーションに終始し――もちろん例外はいくらでもある。「NANO-MUGEN FES.」を主催し、国内外のインディー、あるいはかつてメジャーだったバンドの「(再)発見/紹介」に努めたアジアン・カンフー・ジェネレーションについては今一度考える必要があるだろう。――、「98年組」はいつまで経っても撤退戦を終わらせてもらえない。公開2週間経っても立ち見が出るぐらいの人が、「世界を終わらせない(注:映画ポスターに書かれたコピー)」音楽を聴きに来ているという現実が、いま・ここにはある。ゼロ年代にミッシェルを超えるロック・バンドが日本から出てきたかと問えば、10人中10人「ノー」と答えるのではないだろうか。ミッシェルが終わらせたはずの世界を「終わらせ(たく)ない」人たちがこんなにもいるんだから。

そして、こんなことを何度も何度も書き続けるぼくも、そんな状況に加担しているんじゃないだろうか?
彼らのラストシングルとなった「エレクトリック・サーカス」には、こんな歌詞がある。

「俺達に明日がないってこと/初めからそんなのわかってたよ/この鳥たちがどこから来て/どこへ行くのかと同じさ」

ずるずると自己模倣を繰り返すよりも、潔く解散することを選んだ彼らだからこそ、既にノーカット版が出ている映像を再編集することの意味はあったのだろうか。そこがやはり気にかかってしまう。そして気にかかったまま映画は終わってしまった。映画の内容にはほとんど触れなかったが、他の映画よりも明らかに大きな音で聴く/観るミッシェルは途方もなく格好良かったという点だけで観る価値はある。「ゲット・アップ・ルーシー」や「スモーキン・ビリー」、「リボルバー・ジャンキーズ」のコール&レスポンスで何度も声を出してしまいそうになった。

彼女が「隣に座ってた女の子が途中からぼろぼろ泣きだして、私もちょっとつられちゃった」と言っていたが、ぼくは全く涙腺が緩まなかった。緩まなかったどころか、スタッフロールをバックに流れる「GIRL FRIEND」(一番好きな曲だ)を聴きながら、ある一つの確信を得ていた。

世界はくだらないから/ぶっ飛んでいたいのさ
天国はくだらないから/ぶっ飛んでいたいのさ

希望は嘘だらけで/ぶっ飛んでいたいのさ
だから僕はあの娘と/ぶっ飛んでいたいのさ
I Love You

悲しみでこの世界は作られているから
僕はあの娘と二人で/ぶっ飛んでいたいのさ
Alcohol/Drugs/Rock'n'roll
Love&Sex/Children/この子たちは守りたい

ミッシェルがいなくなっても、「日本のロック音楽」が終わっても、ひたすらくだらない世界に生きていても、どうにかして「ぶっ飛」び続けること。ぼく(ら)はそれをひたすらにやらなきゃいけない。ミッシェルの話なんかしない。90年代の話なんかしない。ロックに限らなければ、素敵な音楽は星の数ほど控えている。それに目を向ける必要がある。光を当てる必要がある。幕が閉じた舞台に、そっと背を向けてあげる必要がある。

ミッシェルがいなくなった幕張メッセには、顔をくしゃくしゃにしながら号泣するファンが大勢映し出されていた。その映像さえも終わり、明るくなった劇場から、まばらな拍手が聞こえた。ぼくは拍手なんかしなかった。それでいいのだと思う。
世界は個々人の都合でどうにかなるものではなく、否応にでも始まったり終わったりしてしまうものなんだ。

<2日目(12月30日)>

東のエデン 劇場版? The King of Eden」を観に行く。

舞台は1991年生まれが就職し始める年代(2015年ごろ?)の日本。
記憶を失い、「セレソンケータイ」のみが手元にあった主人公滝沢(映画ではとある事情で名字が変わる)。「セレソンケータイ」とは100億円分の電子マネーが入り、その範囲であらゆる願い事を叶えてくれるコンシェルジュジュイス」がサポートするという魔法の携帯電話。彼に課せられたミッションは、同じケータイを持った11人の「セレソン」と競い合いながら「100億とジュイスで日本をどうにかして良い国にしろ」というものだった…。

というのが大まかなあらすじ。近未来サスペンスもの。キャラデザインはハチクロのひと。全11話からなるTVアニメ版のラストからそのまま物語が続き、さらにもう一作劇場版が控えている(3月公開予定)ので、直接的な内容の言及は避ける。

避けるけれど、とても面白い作品だった。
大学時代ははっきり言ってほとんど皆無に等しいぐらいフィクションに触れてこなかった。フィクションについてものを書く人の文章は読んでも、それは江藤淳の「成熟と喪失」的な(といってもこの本や似たようなことを書く人を批判するわけではない)、自分の興味に基づいた研究をひたすら進め、それを面白がれるかどうかとしか思えなかったからだ。

でも、それは間違いだった。
来年はむしろフィクションこそ追う必要があるのだと思う。
というのも1995年、ウィンドウズ95が発売され、インターネットが一般化した年)から、ぼくらの想像力がまったく追いつけていないからだ。

たとえば滝沢と友好関係にある学生起業団体「東のエデン」が提供する同名コミュニティサイトのサービスでは、ケータイやデジカメで撮った画像にコメントや解説をつけることが可能な、AR(仮想現実)技術が使用されている。このコメントは個々人につけることもでき、物語内でも重要な役割を果たしている。

こうしたSFチックなガジェットが「空想科学」的に夢想されていた時代と違い、現実にも「セカイカメラ」という「東のエデン」サービスに近いウェブサービスが存在している。ぼくが上で挙げた想像力というワードは、セカイカメラを生み出す創造力ではなく、あくまでそうした技術・機能・インフラ(アーキテクチャ)をどう使うのかという「想像力」である(そしてぼくの場合、それを「編集力」というワードにまで繋げたいし繋げなければならないと痛感している)。

東浩紀が今年の後半から提唱している「民主主義2.0」というのも詰まるところそういう話だ(詳しくは以下の動画+新作小説「クォンタム・ファミリーズ」を参照のこと)。そしてそれは、世のおじさんたちが大好きな「こんな大変な時代だからこそ、戦前・戦後の立派な人たちを見習って新たな日本のビジョンを見出さなければならない」というお話へと接続していく。あなたたちは、そうやって問題提起ばっかりして、ぜんぜん解決策なんか考えてないじゃないか。仮に考えたとしても、訳がわからないだとか、実現は無理だとか、足引っ張ってばっかりじゃないか。そういう話である。

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もちろん、それはSFだけ読んでればいいという話ではない。物語を創る/読む→それについて考える/語る(書く)という作業を通じて、どんな未来がいいだとか、どんな過去がよかっただとか、どんな風に生きればいいだとか、どんな生き方が間違ってるっぽいだとか、そんな話をうだうだする必要があるのだ。「文学は唯一人間のあるべき姿について考えてきた」だとかそんなお題目はほんとどうでもよくて、先行きが見えないとかやりたいことが見つからないとかそんな悩んでる暇なんて全然なくて、想像力をがりがり先鋭化していく必要がだけが、ある。

つづく。